1年という長さと短さ「立冬」
2009年 11 月07日(土)
去年のちょうど今頃、お気楽夫婦は地球の反対側の街に滞在していた。ニュージーランドで開催されたスカッシュの大会に参加するために。それも観客として観戦するのではなく、選手として出場するという暴挙。35歳以上、5歳刻みの年代別カテゴリーで開催される「ワールドマスターズ」という大会。世界中のスカッシュプレーヤーが2年に一度、一堂に会するビッグイベントだ。参加選手は、かつてプロプレーヤーとして世界各地を転戦した強者や、現役のコーチ兼プレーヤーとして活躍している強豪、そしてお気楽夫婦のようなエンジョイスカッシュプレーヤーまで幅広い。けれど、どんなレベルの選手と対戦するか分からないオープン大会。そこに参加するという1つめのハードル。そして、夏休みの時期でもない、この時期に1週間もの休暇を取るという2つめのハードルを超えての参加。それに加え、私は利き腕を腱鞘炎で痛め治療中。左右両腕を使ってのプレー。見事…全敗という結果に終わった。
それでも楽しかった。ニュージランドの街も、人も、気取らず、フレンドリーだった。ワインも食事も美味しかった。日本の有力選手(主にコーチたち)の活躍も素晴らしかった。ツアーメンバーたちに現地で迎えた結婚記念日をお祝いしていただいた。毎日同じホテルに泊まり、スカッシュをして、ウェアを洗濯して、一緒に食事をして、という毎日は合宿のようでもあった。そんなメンバーの中に、日本選手最高齢の中村さんという方がいらした。数十年ぶりの海外旅行、日本国内でも大会に参加したことがなかったのに、海外で試合初参戦!というお気楽夫婦の上をいくチャレンジャーぶり。30代、40代がほとんどの参加メンバーの中で、いつも穏やかな笑顔を浮かべながら、とても自然に馴染んでいた。自分の試合がない時には、複数の会場を巡回するバスに乗り応援に来ていただいた。ふだんは余り飲まないというお酒を、毎日飲みまくるメンバーと一緒のためか、それでも楽しそうにお付き合いいただいた。
日本への帰路に付こうというオークランド空港での解団式。お世話になった皆さんへと、中村さんが参加メンバー全員にプレゼントを配られた。最後まで中村さんらしい、優しい心配りだった。日本チームの監督のような、ツアーメンバーの父親のような、とても柔らかな存在だった。こうやって年齢を重ねて、スカッシュが続けられたら良いなぁ。そんな風に周囲に思わせる方だった。…それからちょうど1年。中村さんが亡くなったという知らせが届いた。メールを送ってくれたのは山崎コーチ。彼は、中村さんやお気楽夫婦のコーチでもあり、ツアー中ずっと中村さんと同部屋だった。そんな哀しい知らせを聞いても中村さんの笑顔しか浮かばない。1年という時間はあんなに元気だった人を病ませるのに充分な時間なのか。1年前には元気にスカッシュコートを走っていた中村さんにお別れするために、通夜に向かった。会場にはツアーで一緒だったメンバーや、スポーツクラブのレッスン仲間も集まっていた。
焼香台の前に、故人のアルバムが置かれていた。その最後のページには、ニュージーランドでの写真。参加メンバーたちの中央で、優しく微笑む中村さんがいた。山崎コーチお世話になりましたというメッセージが添えられていた。そして祭壇を見上げると、中村さんが微笑んでいた。
青春、朱夏、白秋、玄冬。五行説で春夏秋冬を表す異称。それぞれの季節は人生に例えられる。そして季節で年代を準えれば、中村さんは「玄冬」の季節だった。けれど、1年前に初めてお会いした中村さんは朱夏の中にいらした。人生の真っ盛り。スポーツを楽しみ、旅を楽しみ、食事を楽しみ、人生を愉しんでいた。山崎コーチに聞くと、この春に体調を崩すまでスカッシュのレッスンに通い、合宿に参加したいと希望していたという。まさしく、朱夏の中で逝った人生。今日は立冬。1年を振り返るにはまだ早いけれど、私のこの1年もいろいろなことがあった。私の季節もまさしく朱夏。今までの蓄積をまとめあげ、刈り取る季節に向かおうとしている。「美味しく実って、刈り取ったら、私が食べてあげるよ♪」と妻。…いや、そういう意味ではなくてね。