もらえなかったチョコレート「St.Valentine’s Day」

St.Valentineたこの季節がやって来た。国民全体で信じる特定の神が存在しない日本。クリスマスをお祝いし、神社やお寺で初詣をし、チョコレートを贈り合う。もしかしたら今の日本で「八百万の神」と言う時にはキリストやサンタクロースや、St.ヴァレンタインも含まれているのかもしれない。その起源や謂れは知らなくても、豆を撒いたり、七夕飾りをするようにチョコレートを贈る。宗教的な意味合いは薄れるどころか最初から存在せず、企業が仕掛けた戦略に乗っかり、もはや季節の恒例行事。義理だったり、本命だったり、最近では友チョコ、自分チョコなどと贈り合う。プレゼント下手の国民のことだから、こんな習慣は悪くない。お歳暮やお中元がなくなっても、きっと友人に気軽に贈るチョコはなくならない。

KitCat年もたくさんチョコレートをいただいた。2月生まれの特権で、誕生日に合わせて早めのヴァレンタイン・チョコレートを頂くことが多い。今年のヒット作はスカッシュ仲間のアスリート系女子にいただいたキットカットの大人ヴァージョン。それもヴァレンタイン期間限定の写真付き。オリジナルの写真を選び、サイト上に用意されたテンプレートを使ってデザインできるもの。びっくり。仕事先のスタッフ(働く奥さま)たちからもいただいた。いつもお世話になっています!というメッセージを添えて。妻からも毎年異なる趣向でチョコをもらう。今年はマンディアンのアソート。ワインのお供にもなりそうなビターチョコ。さらに今年はマフラー付き。つい先日マフラーを失くしてしまった私。失くしたことを怒る代わりに贈り直してくれた。感謝。

れど、今年はもらえなかったチョコがある。毎年お互いに奥さまからダンナへ贈り合っていた友人夫妻。なのに、ちょっとした行き違いから連絡が取れなくなってしまった。淋しい。毎年溢れんばかりの笑顔と共にいただいたチョコレートが嬉しかった。3月にお返しするスイーツを選ぶのも楽しみだった。それができなくなった。悲しい。一緒に食事をしたり、出かけたり、そんな日々がずっと続くと思っていた。それが突然会えなくなってしまった。呆然。喪失感が絶えず身体から離れない。彼らがいた場所が空洞になってしまった。気持にぽっかりと穴が空くということはこういうことかと実感する。気丈でポジティブな妻は落ち込む私を懸命に励ましてくれる。それがありがたく、だからこそ悲しい。

んなこともあるよ、人生ってやつには」と妻。そうだね。まだ気持の整理はできないけれど、失った痛みを無理に治そうとせずに、痛みに慣れて行こう。空いた穴は塞がずに、空いたままで暮して行こう。いつか、また皆で一緒に会えると良いね。そう願ってブログの記事を書く。ぽっかりと、まだまだ淋しい週末だ。

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