いつもの宿で「ホテル ウェルシーズン浜名湖」

Bedroom年も予約したよ」初秋の頃、浜松の義母から連絡が入る。毎年、年末に1泊2日で滞在する温泉宿。年に1度だけの、義父母の贅沢。頻繁に外食をする訳でもなく、泊まりがけの旅行をする訳でもなく、普段はこれといった贅沢もせず、こまめに電化製品のスイッチをオフにする、身の丈に合った生活をする昭和10年代生まれの2人。10年程前から、一人娘である妻と一緒に温泉に出かけることを年末の楽しみにして来た。浜松周辺の宿を選び、下見に出かけ、自分たちで予約をし、ご招待いただいてきた。一緒に出かける外食などは全て支払うようにしているが、この宿泊だけは「ウチが出すから」という義父母のことばに甘えて来た、と言うよりは、その方が親孝行だろうと思い、敢えて出してもらっていた。

Bathじめの頃は、御前崎だったり、焼津だったり、遠くの宿を探してロングドライブ。けれど最近は「遠くまで行くのは、もうたいへん」と仰る義母の体調を慮り、もっぱら近くの舘山寺温泉の宿となっていた。それも膝痛持ちの義母のために、ベッドがある客室限定。そこでここ数年、リニューアルオープンして全室が洋室タイプに変わった「ホテル ウェルシーズン浜名湖」が定宿となった。フローリング張りの清潔な客室、ホテル内に3ヶ所の温泉大浴場、椅子に座って食べられるダイニングと、義母の要望にぴったり。「でも今年は行けるかどうか分かんない」と弱気の発言。不眠に悩み、体調を崩し、外泊ができるかどうか迷ってもいた。リハビリにと通っていたジムも、プールには行かずお風呂だけになっているらしい。

Zensaiけそうなの?」母を心配する妻が尋ねると、体調も少しは改善し、出かける気持になったという。ふぅ、ひと安心。「毎年」や「いつものように」ということばには、落とし穴がある。あるいは「いつかは」ということばには、もっと深く大きな穴が空いている。毎年できると思っていても、いつかできなくなる日が必ずやって来る。いつか実行しようと思っていても、突然できなくなってしまうことがある。昨春、父を亡くした私にとって、それは強く実感することだ。いつものように、出かけられることを当然と受止めてはいけない。また今年も、両親と一緒に泊まりに行ける、ということを感謝しなければ。共に毎月のように父を見舞い、父の死に際に立ち会った妻とは、互いにことばで確認しなくとも共有できている気持だ。

WellSeason年も無事に過ごせたことに感謝して、乾杯!」食前酒の入った小さなグラスで乾杯する4人。形だけの乾杯の後、グラスは私の元に集まる。それを全て飲み干し、ビールに続き、地元の酒を味わう。次々に出される料理の皿が、私の目の前だけで渋滞する。「どれも美味しいけど、こんなに食べきれないねぇ」義母の分も食べてあげていた義父も、自分の分を持て余す。少しずつ、確実に、それも密かに、覚悟ということばに慣れて行かなければ。「お父さんが運転できなくなったら、私が代わりに運転するさ」という妻のことばに、「いやぁだ、怖いよ」と笑う義母。妻が20代の頃、その運転に怯えた過去があるらしい。「駐車とか、バック以外だったら大丈夫だよぉ。前に進むんだったら得意だよ」返す妻は屈託がない。

理させられないもんねぇ」宿泊者専用の空いている大浴場の湯船に浸かりながらことばを交わす。口数の少ない義父と、短い会話ながらも、ことばを引き出す数少ないチャンス。義母をリハビリに連れ出すことのたいへんさを語る義父。一人娘が上京してから30年以上、ずっと寄り添って仲良く生きてきた2人。その生活が穏やかなまま保てるように、できる限りのことをしよう。両親を亡くし、私の親は義父母2人だけになった。いつものように、また来年も、一緒にこのお風呂に入れると良いですね。義父が湯船の中で、にっこりと微笑んだ。

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