サクラの花を追った春が終わり、風が爽やかな新緑の季節。すっかり初夏の陽気。季節の移り変わりを感じるのは、風の香りだったり、空の色だったり、街路樹の様子だったり。わざわざ郊外に出かけなくても、お気楽夫婦の住む世田谷の外れでも四季の移ろいを実感できる。日本って良いなぁと、TV番組のナレーションのようにひとりごつ。冬はきちん寒く、夏はしっかりと暑く、秋は紅葉、春は花々を愛でることができる。四季がはっきりとして、それぞれの季節を楽しめるのが日本の嬉しいところだ。
舌で季節を感じることもある。季節毎に旬の食材を活かし、料理に季節感を盛り込む。そうして季節を味わうことが世界無形文化遺産への登録申請を行った「和食」の文化。「用賀 本城」は、季節を目でも舌でも堪能できる嬉しい店だ。本城さんの創る季節の味を一緒に味わうのは、いつもの仲間たち。同じメンバーで何度目かの訪問。スカッシュ仲間であり、美味探訪の仲間であり、酔い友だち。その仲間の1人、現在はワシントンDCに在住の“マダム”の一時帰国を祝って、初夏の味を楽しんだ。
大きな器に氷を敷き、氷の上の小鉢には筍や白海老など旬の食材が絶品の料理として盛り込まれ、青紅葉が添えられる。これぞ日本料理。目にも涼しげで、一鉢ごとに驚きの味。最初の一品で本城マジックに嵌る。酒器は色付けされたガラスの猪口と徳利。サクラ色、若葉色の猪口がうっとりする程美しい。カウンタの隣に座るマダムのサクラ猪口に辛口の酒を注ぎ、若葉色の猪口に返杯をいただく。旨い。旬の味を楽しみ、盛付けを目で味わい、器を楽しむ。つくづく幸せな時間。
「うわぁ〜、今年初の鮎だぁ」「素晴らしいカラスミだねぇ、大好き♬」「この西京焼の甘さ、もう〜っ凄いねぇ」食いしん坊仲間たちを唸らせる一皿。季節を彩る味の競演。酒が進み、話が弾む。料理の合間に席を外す。そのタイミングでマダムの隣の席に妻を座らせる。積極的にアピールはしないけれど、マダムを姉のように慕う妻は、今回の一時帰国を指折り数えて待っていた。故郷浜松に向えば“娘”になる妻が、マダムの側では“妹”となり、柔らかく満足そうに微笑む。
人生の後半、秋に差し掛かった頃に出会った友人たち。ゆっくりと、穏やかに、互いの実りの季節を味わい、楽しむ。また最後の客になってしまった。本城夫妻に送られて店を出る。ごちそうさまでした。次は秋の頃、マダムの一時帰国の際に。
「おぉ〜いっ!次の店、行くよぉ〜っ!」…仲間の1人は、まだ盛夏の最中。
■食いしん坊夫婦の御用達「用賀 本城」*お店の基本情報、これまでの訪問記
ある週末、いつものようにスカッシュのレッスンを終えて帰路に付くお気楽夫婦。軽めのランチでスカッシュに臨むため、レッスン後にはいつも小腹が空いている。「晩ご飯、どうする?」と尋ねる妻に対し、ビールが飲みたいと激しくアピール。これまたいつもの会話。この2人、飲むことと食べることしか興味がないのか。では三軒茶屋で街をパトロールしようと途中下車。ふぅらり、ふらりと街歩き。パン屋を覗き、小さな本屋で立ち読みし、海鮮居酒屋の様子を伺う。いつもの街歩きの調子が出てきた。世田谷通りを渡る。茶沢通りも良い感じ。歩行者天国の道をぶぅらり。「おしゃれな店が増えたね」学生時代に三茶に住んだ妻。何年前との比較なんだ。

気が付けば5時。シモキタの街も近い。良い時間だ。老舗の居酒屋「都夏」の暖簾をくぐる。早い時間にも関わらず、客の姿も多い。生ビールをぐびり。くっは〜っ。黄昏時の薄青い空気を楽しみながらの1杯。実に旨い。スカッシュで流した汗の分だけ旨さが増す。季節の野菜の天ぷらを齧る。海宝漬けを味わう。ビールをお代わり。2杯目も旨い。おそらく流した汗の量より、飲んだビールの量が多くなる。気にしない。汗を流さずに飲むより良いさ。独りごつ。「ん、何ぶつぶつ言ってるの?」酒が飲めない妻も、酒の肴は好物。海宝漬けをつまみにウーロン茶。
さくっと飲んで店を出る。まだ街は明るさを残している。引き続きシモキタの街歩き。代沢三叉路。周囲の店がずいぶんと新しい店に代わっている。イタリアンの名店も、広島焼きが旨かった店も、学生の味方だった定食屋もなくなった。ぶぅらり。小田急線の連続立体化事業で、お気楽夫婦が通い詰めたシモキタの街が変わり始めている。駅前の風景は大きく変わりそうだ。ピーコック側の街をぶぅらり。こぢゃれたカフェが多い通り。いつものサンデーブランチの「ノースサイドカフェ」はスルーして、未訪の「ワッフルカフェ オランジ」に入る。
「ちょっと気になってたんだよねぇ♬」ワッフル好きの妻。アメリカンタイプのワッフルとやらをオーダー。かつて一世を風靡したベルギーワッフルと違い、サクサクふわふわのライトな焼き上がり。ワッフルの上に抹茶アイスと小倉あんを乗せてぱくり。ん、これは旨い。「ベルギーワッフルよりこっちの方が好きかな」妻もご機嫌の模様。ゆったりとコーヒーを飲み、紅茶を啜る。この夏はどこに行こうか。夏休みの作戦を練ろうと妻に尋ねる。「やっぱりワシントンでしょ」迷いなく妻が答える。良いね。マダムに会いに行こうか。のんびりと返す。酔いがじんわり醒めて行く。
2人で和むこんな夜には優しい気持になれる。外は暮れ行くシモキタの夜。

マダムと呼ばれる女性がいる。お気楽夫婦憧れのオトナの女性であり、飲み仲間であり、大切な友人。妻にとって彼女は目指すべき高みにいて、彼女のように年齢を重ねて行きたいと思わせる先達的な存在。そんな彼女がご主人の海外赴任に伴いワシントンDCに渡航。年末に何度も壮行会を開催し、一緒に飲み、泣き、笑い、歌を歌って見送った。それから半年近くが経った。Facebookやメールのやり取りで淋しさの一部は埋まるけれど、会いたいと思っても会えない距離は埋められない。何とも言えない喪失感に近い感情がいつも傍らにあった。「マダムどうしてるかなぁ」妻が思い出したように呟いた。

そしてこの春、マダムが待望の一時帰国。ただし、東京にはすぐに戻らず彼女の故郷鹿児島へ。独り暮らしの母親の介護のため。24時間態勢で母親に寄り添い、大学卒業後に家を離れてから初めての故郷暮らし。DCでの生活のために磨きを掛けようとした英会話はすっかり錆び付き、鹿児島弁が上手くなったと冗談まじりのメッセージ。いつものように、明るく朗らかで元気なコメントも、どこか疲れが滲む。介護疲れではないかと心配していた頃、2人の薩摩おごじょは大きな決断をした。鹿児島にずっと暮した母親が、マダムの兄夫婦と同居をするのだという。

母親の引越に合わせて、マダムが東京に帰ってきた。ご主人の転勤に合わせ長く海外に暮し、東京での生活の後、ワシントンDCに引越した後に、母親の引越。まるでマダムは引越のプロ。けれど今回は、彼女たちの原点である故郷を離れるという重い決断。この春には自分のお子さんも大学卒業、就職と親の元を巣立った。一気に家族の環境や関係がめまぐるしく変わったはず。それをスカッシュ仲間で集まり慰労しようという趣向。けれど、マダムは貯まっているはずの疲れなど見せず、輝くような笑顔で約束の店に現れた。予約した店は仲間の間でも評判の「広東料理Foo」。焼き菓子の名店プティポワソンのパティシエ、マコちゃんに依頼し、マダムの似顔絵入りのオリジナルケーキも事前に用意した。「どんな方ですか?」マコちゃんの質問に「ゴージャスな感じで、それにお酒好き!」妻のリクエストは明確。
平日の夜、仕事の関係で三々五々に集まるメンバーたち。「マダムお帰りぃ」「お久しぶりっ」「きゃあ〜!マダムぴかぴかきれ〜♡」それぞれが彼女に声を掛け、近況を尋ね、ハグをする。乾杯が繰り返される。笑顔が溢れる。タイミング良く前菜を出してもらいながら、全員が揃ったところで海老の湯引き、アズキハタの姿蒸しなど、さらに笑顔になる絶品料理を味わう。ワインボトルがどんどん空いていく。みんな楽しそうだ。マダムという太陽のような女性の回りで、スカッシュ仲間の笑顔も輝く。
食事も一段落、デザートのケーキはマダムにナイショのサプライズ企画。ボトルを抱え、ワイングラス片手の似顔絵のマダムのように笑顔が弾ける。そしてケーキを頬張ったスカッシュ仲間の目が輝く。「このクリーム滑らかで美味しいぃ〜っ」「何?このフルーツのソース、すっごいねぇ」見た目も味も、ゴージャスなのに繊細で、スポンジとクリームとフルーツソースのバランスが絶妙。確かに凄い。マコちゃんのケーキに惚れ直す。そして何よりマダムの雰囲気にぴったり。薩摩おごじょは気立てが良く、優しいしっかり者。そしてケーキには、ささやかなメッセージ。マダムを姉と慕う一人っ子の妻が、頑張り過ぎないで!との気持を込めた。
マダム、Take it easy !