祈りから行動へ「Action for Japan」

jiyugaoka日本大震災から2ヶ月余り。3.11以降、我々はいろいろなことを学んだ。かつて経験のない大きな揺れの間、人はどのような行動を起こすのか。どのように動いてはいけないのか。注意報や警報が発表され、実際には100回に1回しか現実に起らなくても、警戒しなければいけないこと。我々はいろいろなことに備えなければならないと知った。60年に1度、100年に1度という周期で起きるといわれれば、自分が生きている間には“起きないかもしれない”と楽観的に、漠然と思っていた。そうではないことを知った。自分が生きている間に“起きるかもしれない”と、備えなければならないことを。ある被災者がTVのインタビューで「これが夢だったら良いのにと、毎晩眠る前に思ってしまうんです」と語っていた。その心情は今なら良く分かる。

村昭氏の『三陸海岸大津波』という本(2004年に文春文庫刊)が売れているという。明治29年、昭和8年、昭和35年の3度に渡って津波に襲われた青森、岩手、宮城の各地を訪ね、被害にあった多くの人々を取材して刊行されたノンフィクション。そこには、かつての被災経験から「ここから下には家を建てるな」という直接的な教えや、貴重な示唆がある。人は忘れてしまう。忘れなければ苦しいこともあるし、忘れるからこそ新たな気持で生きても行ける。けれど、忘れてはいけないことがある。伝えていかなかればいけないことがある。我々は経験したのだから。

Smileれから2ヶ月余り、我々の価値観が変わった。小売店から水や納豆やヨーグルトがなくなり、計画停電で電化製品が使えなくなった。豊かな時代に育った世代は、あって当たり前ではないことに初めて直面した。“ある”ということは、誰かがどこかで何かを懸命に働いているから、“ある”のだということを知り、“ある”ことは“有り難い”ことなのだと気が付いた。仕事があり、家族がいて、住む家があり、スィッチを入れれば電気が付いて、蛇口をひねれば水が流れ、冷蔵庫には牛乳もヨーグルトもある。フツーに生活できることは、とても幸福なことなのだ。そして、消費はすべきだけれど、浪費はすべきではないと自覚した。電気も、水も、有限であり、多くは海外の方が評価する“もったいない”という日本語を、日本人である我々が実体験を基に理解した。明る過ぎた公共空間の照明も、冷やし過ぎていた空調も、もったいないというだけではない価値観で変わり、そして定着していくのだろう。

Pray for Japanというメッセージが入っていたFacebookのプロフィール写真を変えた。あの恐ろしく痛ましい映像の数々を見れば、誰もが祈らざるを得なかった。現実かどうかを疑ってしまう程の自然の脅威の前には、ただ願うしかなかった。人間の強さを信じるしかなかった。けれど、すでに祈りだけの時期は過ぎた。残念ながら、祈るだけでは直接的な力にはならない。前に進むエンジンにならない。エネルギーにならない。アクションを起こさなければならない。それは、直接被災地を訪れボランティア活動を行うことだけではなく、支援を呼びかけるだけでもなく、義援金に協力するだけでもない。フツーに仕事をして、消費して、生活すること。けれど、その我々のフツーは変化したはずだ。フツーは、ありがたく、幸福なこと。そして、そのフツーが積み重なれば、いつか日本全体がフツーに戻っていく。新たなフツーに変わっていく。

Team Smileに私が勤務していた、妻が現在も勤務している会社が、あるプロジェクトを立ち上げた。その名前は、Team Smile という。渋谷の商店街と連携してイベントを開催したり、各地で復興支援チャリティコンサートを開催したり。エンタテインメントを通じて、笑顔と元気を生み出すために、力を合わせて行動するプロジェクトだという。良いね!このプロジェクトはエンジンになる。笑顔はエネルギーになる。妻が義援金に協力してバッジをもらってきた。さっそくジャケットの胸に付けてみた。友人がそれを見て「可愛いね!」と言ってくれた。Smileがひとつ生まれた。

親と娘の風景、浜松の日々。「割烹 弁いち」

F1Yakisaba Sushi5月の連休は妻の故郷である浜松へ向う。それがお気楽夫婦の恒例行事。例年であれば、ちょうどその時期に開催される「浜松まつり」で街は人で溢れる。けれど今年は開催中止。毎年100万人以上が集まる大規模なイベントだけに、警備の人員が確保できないというのが中止の理由のひとつ。周辺の市町村と合併し、2007年に政令指定都市となり、人口は80万人を超える浜松市。なのに街の中心部には昔ながらの町名が残り、町毎にコミュニティが残る。それを支えているのが、初子を祝う浜松まつり。各町毎に大凧を揚げ、御殿屋台を挽き、ラッパの演奏で町々を練って歩く。前年の参加は、なんと174町を数えたという。祭の運営にも課題が多いとは聞くが、これだけ大きな都市で町単位のコミュティが残るのは、ある意味では奇跡的。

Roten buroUnagiんな街に生まれた妻は一人娘。「今年はいつ浜松に行こうか」新年度を迎えると、決まって妻が尋ねる。一緒に住めない代わりに、機会ある毎に両親が住む街へ向いたい。そんな心情らしい。幸いなことに、私は旅行好き。新幹線に乗る前におつまみを買込んで、流れる風景を楽しみながら酒を飲むことが大好き。新幹線のシートに座ると自動的にビールが欲しくなるほど。デパ地下で何を買うかを迷うことも楽しく、車内の小さなテーブルにおつまみを広げ2人で小さな酒宴を開催することを思うと、わくわくしてしまう。そして、温泉好き。温泉の後のビールなどは、愛してさえいる。さらには、地の旨いモノを供してくれる旨い店があったりするならば、これは出かけない訳にはいかない。…そうなのだ。浜松へ向う旅には、それらの全てがあるのだ。

Ben Ichi松花堂んな風にいつものように自分のモチベーションを高め、新幹線に乗り込む。今年のおつまみはR/F1。小分けにされた9つの仕切りの中に少しづつ詰められた料理を眺めているだけで、笑みが零れる。ちまちまとデリを摘みながら新幹線は進む。ビールがすすむ。ワインがすすむ。品川から新富士駅辺りまで宴会は続き、浜松までの道中はデザートタイムとなる。そして、浜松に到着すると笑顔で無口な妻の両親が迎えてくれる。酒を飲まない彼らが初めて覚えたビールの銘柄であるYEBISUを、我々の滞在日数に合わせて数本買っておいてくれる。そして、まつりのない今年は日帰り温泉の予約までしてくれていた。館山寺温泉という浜松の奥座敷。のんびりと温泉に浸かり、ゆったりとした広間で地元の料理を味わう。私の役回りは、無口な親娘の3人をつなぎ、話題を投げ、美味しいねぇと3人の分まで言い続けること。

花山椒綿屋事付きの日帰り温泉のお返しは、地元の名店での食事。浜松滞在の最終日、いつもの割烹 弁いちに向う。きちんとオシャレをして出かける義父母。いつもの4人用カウンタ席の個室に案内される。「いらっしゃいませ。今日は松花堂弁当をご用意しています。ビールからになさいますか、それとも…」日本酒でお願いします。こちらにお邪魔してご主人おススメの酒を飲まないのは片手落ち。「かしこまりました。ご用意いたします」最初の1杯は東北地方の蔵元支援のためと、金の井酒造の純米大吟醸斗瓶採り山田錦45 綿屋を選んでいただいた。ふぅわりと柔らかな飲口。旨い。「この蔵元は幸い被害は少なかったんですが…」被災地の蔵元が、支援のためであれば日常の生活に戻りぜひ日本酒も飲んで欲しいと訴え話題になった。私も微力ながらとぐびり。そして2杯目は中取り大吟醸十四代。これまた実に旨い。

ShirotakenokoSien no sakeちら京都向日市(むこう)の白筍です」えぐみのないすっきりとした味。「はい、なるべく食材に手を入れすぎないようにしてます」料理の腕があり、食材を選ぶ目があり、食材を組み合わせる技があり、それを上手に供するセンスがある。相変わらずこの店には唸らされる。そして、食中酒として日本酒の持つ力に感嘆する。そんなやり取りをにこにこしながら聞いている義父母。お酒を飲むわけではなく、話題を提供する訳でもないから、時間をもて余し気味。「もうお腹いっぱい」小食の義母が呟く。夜のコースは(彼らにとっては)量が多く食べきれないということでランチにしたのだが、当日の朝食の量を減らすなどの工夫の余地がまだありそうだ。機会ある毎にこの店の口福を味わいたい自分のためにも、両親が元気なうちにはずっと一緒にこの店の料理を味わいたいという妻の希望を叶えるためにも。

と両親は3人の小さなコミュニティ。私が何かをサポートすることはできても、優先すべきは彼らの希望。「来年は50周年だよね。お祝いは何が良い?」妻が両親に金婚式のお祝いの意向を尋ねる。「館山寺温泉に泊まるのが良いかな」彼らの望みはいつも身の丈。身近な場所に希望が詰まっている。

れにしても腕が痛いなぁ」帰りの新幹線の車内で妻が零す。滞在中、2日間スポーツクラブに通い、男性メンバー相手にスカッシュコートを走り回った妻。女性メンバーが少ないこともあり、男性相手に試合を重ね、腕に負担がかかったようだ。「せっかくのスカッシュ合宿だったのになぁ…」って、おいおいっ!

■「食いしん坊夫婦の御用達」 割烹 弁いち のご紹介

Avec Professionnelles♡「Chocolatier Miki & Le Petit Poisson」

RuskOtona no Cheese Cake気楽夫婦の住む街に、自慢のスイーツの店がある。それも3軒。ひとつは、世界一小さな(改装して少し店は大きくなったけれど)チョコレートショップと名乗るショコラティエ・ミキ。そして2軒目は、絶品焼き菓子のル・プティ・ポワソン。ちなみに3軒目は和菓子の名店いとうなのだけれど今回のテーマからは外れるので横に置く。2つの店の共通点は、地元で産まれた若いパティシエールが、地元に出した小さな店であること。そして、オーナーは素材に拘る菓子職人であり経営者であること。さらには、2人ともプロフェッショナルであると同時に、若く元気な可愛い女の子であること。そして嬉しいことに、お気楽夫婦と顔馴染みであること…。そんな2人の若きパティシエールと地元で飲もう!という約束をしていた。

Choco ringleyChotto Otona no Cheese Cake4人で飲もう!と約束したのが年末。ところが、クリスマスからヴァレンタインデー、ホワイトデーにかけて多忙な日々が続く2人。そして、3.11。ショコラティエ・ミキはしばらく休業に入った。震災の影響でとサイトに記載してあるけれど、明確な理由は分からない。メールで尋ねるのも気が引ける。そんなある日、こちらは通常営業のプティ・ポワソンを訪ねると、4月中旬にはミキちゃんの店が再開するとの情報。では、その際に改めてお誘いしようとスタンバイ。そして再開のNEWS。さっそくミキちゃんにお祝いのメールを送る。「ご心配をお掛けしました」との返信に、店を訪れお誘いすると「さっそく週末に行きましょう!日曜だったら彼女も翌日お休みですし」プティ・ポワソンの小林さんからもOKの返事。「ご近所ご飯は飲み過ぎてしまう可能性大ですが…」との頼もしいコメント付き。それは楽しみだ♬

Chocolat NoyerCheese Cakeる週末、4人が向ったのは地元の飲食店グループのRaperinoというイタリアン・ダイニング。気楽に食べ、たっぷりワインを飲むにはぴったりの店。GWに向けて“焼き菓子祭り”を開催予定のミキちゃんは仕込みが大詰め、小林さんは菓子教室のレッスンが押し、それぞれから「ちょっと遅れます!」と連絡が入り、「そこで一緒になりました!」と揃って2人でやって来た。付き合いは長いとのことだけれど、意外なことに一緒に飲むのは初めてらしい。ビールとペリエで乾杯。仕事帰りの2人のパティシエールは、実に美味しそうにぐびり。お気楽夫婦が“さかな(poisson)ちゃん”と呼ぶ小林さんはいつの間にかビールを飲み干し、ワインに進む。おっしゃる通りにお強いらしい。

Hors-d'œuvreSalade手の牧場のモノを使ってたんですけど、まだ生クリームが手に入らなくて」ミキちゃんの休業の理由は看板メニューのボンボンショコラの原材料のひとつ、生クリームのためだった。「なんとか元の味に近づけたんですけど」自らが納得した素材とレシピでしか、自分の子供のようなショコラを生み出すことはできない。彼女の店のサイトには「伝統の手法と冒険の味」とある。彼女のショコラを表現するのにぴったり。そんなプロの拘りを聴く。ミキちゃんが「もうっ最高の焼き菓子です!」と絶賛するさかなちゃんが店を出すまでのエピソードに耳を傾ける。彼女の店のサイトには「いつまでも愛されるフランス伝統菓子の店」とある。さらに、オーボンヴュータンの河田さんを目指したいとも。その意気や良し。プロの語る“自分”の話は心地良い。

2人が作るスイーツに明確な個性があるように、2人それぞれにプロとしての拘りがあり矜持がある。菓子に対する情熱が伝わってくる。同じ頃に同じ街で生まれ、同じ道を志しプロとなった2人。彼女たちの作るスイーツのような、甘くほろ苦いエピソード。実に濃厚な時間だ。いつの間にかワインの空きボトルは3本目…。

タッ!おっとぉ!あれ?寝てた?「うん、30分くらいね」慌てて3人の会話に加わる。プロたちの興味深いエピソードが続く。「楽しかったですねぇ♪」「また飲みましょう♡」う〜ん、終盤の記憶を失った部分が気になる。残念だ。「気持良さそうに寝てたから良いんじゃない?」…こうして、道を極めようとするプロたちとの幸せな時間が(いつの間にか)過ぎて行った。

■食いしん坊夫婦の御用達へリンク

Chocolatier Miki(ショコラティエ・ミキ)

Le Petit Poisson(ル・プティ・ポワソン

002318196

SINCE 1.May 2005