調布では「目玉と仏は おらが蕎麦」ご近所散策 深大寺編

■今週からお気楽復活!けれど、深大寺を訪れ記事を書いたのは東日本大震災前。今もこんなに賑わっていると良いのだけれど…。

Jindaiji-sandoAmazake寒を迎える頃、「冬そば」という京王線のキャンペーンが始まる。ミシュランですっかり世界的?観光地となった高尾山周辺に20軒近くもある蕎麦屋で名物のとろろそばを食べよう!というものだ。ちなみに、今年で9回目だというそのキャンペーンのネーミングは、企画開始当時に人気になった「冬ソナ」をもじったもの…らしい。毎年のことでもあり、蕎麦好きでもないお気楽妻は例年ほぼ無関心だった。ところがある日、冬そばのチラシがテーブルの上に。食べてみたいという意思表示らしい。ふぅむ。高尾山に登りたいのかと妻に尋ねると、「登らなくて良い」とそっけない。けれど、わざわざ延々電車に乗って、高尾山に登らず蕎麦だけ食べに行くのもどうか。とは言え、蕎麦好きの私に火が点いてしまった。…じゃあ、代わりに深大寺に蕎麦を食べに行こうか!

Jindaiji-beerTen-seiroる週末、お気楽夫婦は深大寺に向った。驚いた。東参道沿いには土産物屋、蕎麦屋が軒を連ね、地図やカメラを持った人で溢れている。以前(といっても思い出せない程前だけど)何度か訪れた際の印象とは全く異なり、今やすっかり観光地。人気の店では行列もできている。空腹を抱えた2人は、すかさずこれはいかんと観光地となった一画の店に入る。縁台に腰掛け、深大寺ビール、味噌おでん、天せいろで腹ごなし。暖かな昼下がり、ぐびりと飲むビールが旨い。蕎麦は決して絶品とは言えないけれど、観光地の蕎麦だからと割り切った評価。接客も観光地での一見客向け。これぐらいで仕方ないか。「でも、天ぷらは揚げ置きじゃなくって、からっと美味しいよ♬」と妻。なるほど。期待していないところから物事を見ると、高評価になる典型。店の佇まいも観光客気分を味わえる雰囲気。視点を変えると気分も変わる。モノの見方が柔らかく温かくなる。

Kitaro-Chaya2Nezumi-Otoko台宗別格本山、浮岳山深大寺。東京では浅草寺に次ぐ古刹。腹ごなしに詣でるなどと言うには畏れ多い。けれど、ダルマ市でも有名な境内を散策し、さらに観光気分が高まるお気楽夫婦。お参りの後、山門を出て参道を歩くとお馴染みのキャラクターたちに出会える店が現れる。その名も鬼太郎茶屋。店先には記念撮影用のネズミ男、目玉オヤジのだんご、樹の上には鬼太郎ハウス。裏手に廻ると、こなきじじいい、一反もめん、砂かけ婆、猫娘…。TVドラマ『ゲゲゲの女房』ですっかり有名になった調布は、水木しげるが50年以上住む街。駅近くの天神通書店街には水木の描くキャラクターのオブジェが並び、街には鬼太郎バスが走る。調布の名誉市民となった水木しげるの産んだキャラクターが、いつの間にか調布を観光地にしていたのだ。

YusuiTororo-sobaなり楽しいねぇ♫」ネズミ男と記念写真を撮り、ご機嫌の妻。最寄りの駅から電車とバスでわずか30分の場所に、お気軽な観光地を発見した気分。地方都市が活性化のために地域の観光資源を徹底活用するというモデルが、こんな身近にあった。よし、もう1軒蕎麦食べに行くぞぉ!事前調査で美味しいと評判の店「湧水」に向う。板わさを肴にまたもや深大寺ビールをぐびり。そして待望のとろろそばをずずっとたぐる。旨いっ!香り高い蕎麦。これは深大寺近辺の水が良かったから産まれたという蕎麦を名物と呼ぶに恥じない味。接客も観光客ズレしていない。信州長野に「信濃では 月と仏は おらが蕎麦」というキャッチコピーのような句がある。だったら調布は、目玉と仏は おらが蕎麦。月に負けない目玉オヤジ、善光寺に負けない深大寺、信州に負けない蕎麦もある。

腹いっぱいだぁ♡」ご近所観光と蕎麦に満足した、相変わらずお気楽な2人。遠出を避けてらっしゃる皆さまも、ぜひご近所再発見のプチ・トリップを!

お気楽な2人ができること「SETAGAYA 2(Deux)」

HARU no zensaiになると無性に天ぷらが食べたくなるお気楽夫婦。ふきのとうの苦みと香り、たらの芽のさくっとした歯応え、稚鮎の柔らかな身と腹の苦み…。大人になって良かったなぁと実感する春の味。今年も渋谷の「天一」にでも行って春を味わおうかとスケジュール調整。友人も誘って日程も決まった。そんなタイミングで3.11東日本大震災。発電力の低下による計画停電も重なり、小売店や飲食店は営業自粛や短縮の動き。天一の入っている東急百貨店でも閉店時間が早まり、18時以降は営業していない模様。う〜む、中止にしようか、他の店を探そうか。そこで「用賀 本城」を思い出す。開店以来2年足らずで、なかなか予約できない人気店になったが、こんな時こそ逆バリだ。さっそく電話をすると「あぁ〜IGAさん、(たぶんキャンセルがあって)お席お取りできますよ」との返事。予想通りの展開だ。

Honjo no Haruったん電話を切り、すぐに妻にメールで確認すると「良いねぇ♡じゃあ、本城さんに行こう!」と迷いのない返事。了解!と即予約。お気楽な2人は形に残らないモノにお金を使うことが好き。美味しいモノを食べること、心地良いホテルに滞在すること、スポーツクラブで汗を流すこと、まったり温泉に浸かること…。そして、こんな時期に2人ができることは、義援金の遣い方がはっきりした組織に寄付すること、節電に努めること、緊急ではない保存食品は買わないこと、根拠のないデマを広げないこと、ネガティブな発言をバラまかないこと、そして何よりも「いつも通りの生活をすることで、日本経済の復興に極めて僅かながらも寄与すること」、そして「そんな日常をブログの記事にして、その記事を読んだ誰かのお気楽の素となって、ささやかながらも消費を刺激すること」なのだ。

こに、SETAGAYA 2(Deux)が誕生した。

島原発で事故発生直後から現地に止まり、高濃度の放射能を浴びながら作業を行ったFUKUSHIMA 50に倣うには余りにミッションの大きさが違い過ぎるが、そんな2人にも明確な志はある。縮んでしまうだけではダメなのだ。自粛するだけでは世の中は好転しないのだ。ましてや、コメやカップ麺を買溜めして、自宅で食べるだけでは(少なくともウチは)元気にはならないのだ。そこで、SETAGAYA 2のMission1:外メシ強化作戦。今まで以上に積極的に外食をする。これは今までの2人の生活パターンからしたら比較的カンタン。馴染みの店のヘビーローテーションで事足りる。飲食店が元気のない街は淋しい。そんな街には住みたくはない。そして、Mission2:内メシ食材選別作戦。風評被害の危惧がある地域の農産物をはじめとした生鮮食料品を買って消費する。それにしても、健康被害がないと言うならなぜ出荷停止なのだろう。これからは、ホウレンソウをたっぷり食べてやる!さらに、Mission3:ドネ付き商品購入作戦。今後、各企業から多数発売されるであろう、購入するとドネ(Donation:寄付)ができる商品を(どうせ買うなら)選ぶこと。最後に、Mission4:継続は力作戦。節電への協力(節電中の公共空間は照明が抑えられ、上品な明るさで心地良い)も、節度ある消費も、機会あるごとの寄付も、ネガティブ発言禁止も、そろそろ良いんじゃない?と言わずに、飽きずに継続すること。…所詮お気楽な2人にできるのは、これぐらいのこと。

〜ん。確かに志が高いとは言えないなぁ〜。あんまり今までの生活と変わってない気もするし、ちょっと部分的には自己弁護って気もするねぇ」と妻。「でも、これなら継続できるし、きっと楽しいよね♬」そう、楽しくなければ続かない。よしっ!これからも変わらず、お気楽に!

3人寄れば文殊の知恵、69億人寄ったら…「集合知」

Pray for JAPANんじゅ」とは、福井県敦賀市にある高速増殖原型炉(原型炉とは商用化前の原子炉)の名前であり、文殊菩薩に由来する。3人寄れば文殊の知恵、と言うように文殊菩薩は智慧を司る。釈迦如来の脇侍として普賢菩薩と共に幅広く信仰されている。ちなみに、新型転換炉という方式で原子力発電を試み廃炉になった「ふげん」の名の由来は普賢菩薩。そして、普賢菩薩は慈悲の象徴で、象に乗った(象を制御した)姿で描かれることから、原子力という巨大なエネルギーを制御しようというのが命名の理由らしい。例え原子力というエネルギーは制御できても、地震という自然の摂理は制御できないという難しさに日本は今直面している。

ころで、文殊である。先日、入学試験中にケータイを使ってYahoo!知恵袋に投稿しカンニングしたとされる受験生が逮捕される事件が起きた。もちろん、不正であり許容されるものではない。手口がネット社会を反映したことで話題となり、大きな事件となった。けれど、この事件の本質は、古くは6世紀の中国科挙の時代からあったというカンニングという不正にあるだけではなく、教育、知識、学力とは何かを問うている。学力を問う入学試験は、読み、書き、計算、すなわち読解力、記憶力などの主にトレーニングによって得られる能力を計るものである。すると、検索力、ネットワーク力、コミュニケーション力は学力ではないのだろうか。今は少なくとも違う。けれど、辞書(先人の知恵の集合)使用可の試験があり、簿記の試験のように電卓持ち込みが前提の試験もある。

合知ということばがある。例えば、Wikipedia。インターネット上で世界中の人が“匿名”で記事を書き、百科事典(のようなもの)を作ろうというプロジェクト。恣意的な書き込みや、“荒らし”があったり、管理的な課題も多い。けれど、あらゆる領域に及ぶ記述は画期的であり、学術的な裏付けや正確性に欠けることを前提に利用している人も多いと思う。学術的な裏付けがなくとも、目の前に直面する課題に対し、世界中の人々の知識、知見、知恵などの「知能の集合」で解決できるものがある。すなわち、課題に直面する人が、それらの情報を取捨選択し、判断して答えを導くことができれば、集団の知が個人の知となる場合がある。もしかしたら、未来の学力とは、何を使って、どこを探し、どのように選択し、判断するかになるかもしれない。そんな時代なのだ。

10年もしたら、試験会場に検索用にスマートフォン持ち込み可になってるよ」と、乱暴なことを言うお気楽妻。彼女は自分のiPhoneを“検索ちゃん”と呼んで肌身離さず持ち歩く。今やiPhoneは彼女の羅針盤。3月11日の夜、文字通り羅針盤となった iPhoneを使って、2時間半の道程を迷うことなく自宅まで帰って来た。「あなたの記事だって、いろんなことをネットで検索して書いてる訳だしね」む、そりゃそうだ。辞書だって間違っている場合がある。今は正しいけど、将来的にはことばの意味が変わり、間違っていたということもある。ましてや、私の記事を読んでそのまま受け取る人もいないだろう…と開き直る。

日も余震が続いている。地球という生命体(?)の大きさから見れば、地震は皮膚の新陳代謝のようなものかもしれない。人類とは、地球にとっては寄生しているウィルスのように些少な生物なのかもしれない。しかし、宿主と寄生動物は共生できるはずだ。過去の何百億人の知の集積と、同時代の69億人の知で、宿主である地球と人類が共生できる関係でありたい。そして、日本の災害を知りアクションを起こしはじめている全世界の個人の、そして集団の、知や思いが結集し、東日本大震災の復興、福島原発の危機的状況からの回避が、早期に実現できますように。

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SINCE 1.May 2005