紅葉よりみち京の旅「秋の京都ウォーキング」

InoueShoseienJR東海は、1993年からずっと「そうだ、京都行こう。」と言い続けているし、長塚京三のナレーションはいつも余りに魅惑的だ。かつて2012年秋のコピーは、「紅葉は、旅の入り口にすぎませんでした」というものだった。くぅ〜っ、巧い。…と言う訳で、秋の京都に出かけた。京都駅で降り、真っ直ぐに向かったのは「渉成園(しょうせいえん)」という東本願寺の別邸だ。ここで『スラムダンク』などの作者井上雄彦が、親鸞上人の七百五十回忌に東本願寺から依頼を受け作成した「親鸞」の屏風画の特別公開を行っていたのだ。FB友達の「割烹弁いち」のご主人鈴木さんの書込みで情報を得て、幸運にも3日間だけの公開日程の最終日にスケジュールが合い、急遽訪問。鈴木さんに心から感謝。六曲一双の水墨画も見事ながら、漫画という新しい芸術を認めて依頼した東本願寺にも感服。仏教寺院が芸術の庇護者でもあり続けたことを実感。

HakusasonsouHakusasonいて向かったのは、京都大学。学内の時計台とキャンパスの近くにある「進々堂」という喫茶店の建もの探訪(前日の続き)が目的だ。広大なキャンパスを歩き、その羨ましい環境にため息をつく。これならノーベル賞受賞者が生まれそう。今出川通に出ると、そこは古本屋街。その一角にある「知恩寺」で開催していたのが「古本まつり」というイベント。由緒ある寺の境内に広がる古本の青空市。京都らしい風景だ。白川疎水通りを歩き、銀閣に向かう途中で、「おめん」でランチ。その後「白沙村荘」に立ち寄る。学生の頃からのお気に入りで、何度か通う馴染みの場所だ。賑わう銀閣の門前と対照的に、ひっそり佇む邸宅と庭園だったのだが、数年前に敷地内に美術館ができたとのこと。ふん、商業主義に走ったかと思い入ってみたら、これが素晴らしい。美術館2階のテラスから望む大文字山の風景が清々しい。入館料が上がったことも許そう。

GinkakuTetsugaku山慈照寺、これが銀閣寺の正式名称だ。JR東海の1994年のキャンペーンのコピーは、「銀じゃなくても…。銀じゃないから…。私は、好きです。」というものだった。同感。観光客が少ない日であれば、じっくりと“わびさびの美”を味わえる、大好きな寺院のひとつだ。そして、それよりお気に入りなのは、この寺の近く、今出川通りと白川通の交差点を起点とする哲学の道だ。京都学派の哲学者西田幾多郎たちが散策したことから名付けられた疎水沿いの小道。季節ごとに表情を変える、いつ訪ねても楽しめる散策路で、途中にあるいくつかの寺社を訪ねる楽しみもある。歩くのは何度目かということで、すっかり訪ねたものと思っていた(爺さんは忘れただけかもしれない)「法然院」「熊野若王子神社」を初訪問。どちらも味わい深く楽しい寄り道だった。

ZenzaiRyoshu匠壽庵 京都茶室棟」も、歩き疲れた身体に嬉しい寄り道スポットだ。銀閣から南下すると、哲学の道の終点近くの絶好の休憩ポイント。京都大学から歩き始めたお気楽夫婦の踏破距離はすでに5km以上。椅子に座って休み、抹茶と京菓子、熱々のぜんざいをいただいてほっと一息。散策後半の作戦を練りながら、ぜんざいの甘さを味わう。エネルギーを充填して、散策再開。南禅寺に向かう途中、何とはなく立ち寄ったのは通称「永観堂」という名前で知られる禅林寺。この寺も初訪問。実は、拝観料が他に比べてお手頃だったのが決め手だった。*訪れる全ての寺社の拝観料を支払っていたら、結構な金額になってしまう。あまり気にせず入れるオトナになれて良かった。

EikandouAutumnくから「秋はもみぢの永観堂」と言われた名刹だとその時に知った。走りの紅葉の時期にも関わらず、確かに見所がたっぷり。多宝塔から眺める京都は、旅のクライマックスのひとつになった。右手に京大と吉田山、岡崎神社の森、正面に平安神宮、鴨川の向こうに京都ホテルオークラ、遠くに嵐山、高雄を望む。目を輝かせて見つめ合い、互いに深いため息を付き、イタリア人カップルが長い時間抱擁していたけれど、気持ちは良く分かる。境内の放生池の赤く染まった景色も、湖面に映る景色も、絶妙に配置された植栽も、実に素晴らしい。小さな橋の欄干に腰を下ろし、ずっと飽かず眺めていたカナダ人男性の気持も良く分かる。この寺こそが、今回の散策の大収穫だった。

*書きたいことが多すぎて、書き切れず、次週に続く。 ちなみに、登場人物の国籍は想像であり、取材をした訳ではありません。悪しからず。 〜 to be continued.

建築うんちく大阪の旅『ぼくらの近代建築デラックス!』

MakimeKoukaido城目学という作家が好きで、デビュー作『鴨川ホルモー』をはじめ『鹿男あをによし』『プリンセス・トヨトミ』などの地元関西を舞台にした奇妙奇天烈な作品群を読んできた。現実のすぐ裏にある(けれどある訳は無い)不思議な世界が拡がる独特な作風。そんな彼と私の共通項がある。「渡辺篤史の建もの探訪」というTV番組♡LOVEなのだ。彼のエッセイ集『ザ・万歩計』の中で、実に滔々と渡辺篤史(のTV番組)に対する愛を歌い上げる。このテーマではかつてブログ記事を書いたのでそちらに譲るが、そんな建築物好きの万城目学が、門井慶喜と共著で出版した本がある。『ぼくらの近代建築デラックス!』という1冊。関西出身の2人の作家が繰り出すボケ突っ込みとウンチク合戦が実に興味深く、アカデミックではない分気軽で楽しく、妙におかしい。

NomuraShibakawa築に関する本なのに、この本を抱え“建もの探訪”したくなる街歩きガイドでもある。旅に出たくなる。…ということで、旅に出た(笑)。この本、「大阪散歩」「横浜散歩」と、街ごとに近代建築を訪ねる構成になっており、第1章が大阪、第2章が京都。であれば編集方針通りにと大阪の近代建築の宝庫、中之島と北浜を訪ねた。梅田から御堂筋を南下し、大江橋を渡る。右手に日銀大阪支店を眺め、大阪市役所、中之島図書館と大阪を代表する近代建築の横を通り、辰野金吾が設計した(東京駅も!)大阪市中央公会堂に到着。周囲に建物がなく、全容を見渡せる分、赤レンガに白い花崗岩という壮麗な“辰野式”の建物の中でも特筆すべき美しさ。続いて難波橋を渡り、北浜の近代建築群を探訪。掲載されている「高麗橋野村ビル」「芝川ビル」などの建物以外にも、少彦名神社(神農さん)の社務所になっているビルなど、いろいろ発見があり実に楽しい。

NightViewLounge刻、宿に戻り、窓から先刻までひとり彷徨っていた街を眺める。訪ね歩いた近代建築群の姿は、現代の高層ビル群の林の中に隠れて、残念ながら見えない。遠く阿倍野の「ハルカス」やクラゲのような大阪ドームを望み、眼下の「フェスティバルタワー」と建築中の朝日新聞社のビルを眺める。パソコンでGoogleマップを開き、ビルの名前を確認する。都内でもすっかり追いつかなくなったけれど、街歩きのランドマークとなる高層ビルができる度に、名前と立ち姿を(老朽化しつつある)記憶中枢にインプットする作業もお気に入り。高いところに上り地図を確認し、街を歩き地図をチェックする。自分の頭の中のMapが補足され、地図なしで街を歩けるようになるのが何よりも嬉しい。ホテルのラウンジでワインを飲みながら、眼下のビルや通りの名を復唱する。

TenpeiShinchiとくち餃子が良い!」仕事を終え合流した妻に、うどん、ネギ焼き、餃子など、大阪の粉もんの中で何が食べたいかを尋ねると、迷いなくすぐに答えた。ラウンジで乾杯した後に街に出かける。夜の街歩きの手始めに「大阪駅前第1ビル」から第3ビルまで続く地下街(梅田のラビリンス!)を歩き回り、北新地に向かう。横断歩道で信号待ちの人々の中に、すでにご出勤風情のキレーなお姉さんたちが混じる。ネオン瞬く小路に入ればいかにも同伴だろうと思わしき2人連れが何組も。そんな街の片隅に(ほんとに分かりにくいほど、新地の端っこに)「天平」という小さな店がある。メニューは餃子と漬物のみ。料金は不明瞭。どこにも餃子はいくらかは書いていない。餃子を2人で30ケとお願いすると、普通1人20ケはいけるよと返されるが、少食の2人はそれで良し。

リパリだし、ちょっと辛めで美味しいね」妻もお気に入りの模様。ワンタンを焼いたような小ぶりの餃子をあっという間に平らげ、お会計をお願いすると、最初は3,600円と言われたのに、間違ってましたわと3,000円に変わる。ふふふ、やっぱり不明瞭。それもまた楽し。「ウチも同伴出勤に見えるかな」クラブ、ラウンジ、スナック、バー、看板の店名を眺めながら、のんびりと新地の街をそぞろ歩くお気楽(同伴)夫婦。夜の街探訪もいとをかし。

この場所で♡「Park Hyatt Tokyo / New York Bar」

ParkHyatt2000年10月20日、お気楽夫婦はこの場所で正式に結婚生活をスタートした。オトナの事情で入籍できないことを知っていた友人たちは、(やっとか!と)喜んで集まってくれた。会場に選んだホテルは、2人にとって大切な場所だった。何か良いことがあった時、最上階にあるバーで乾杯をした。遠くに旅行ができず、それでも旅の気分を味わいたい時に、ゼータク気分でこのホテルに宿泊した。いわば2人のハレの場所だった。そのホテル、パークハイアット東京が開業した年、1994年から2人で一緒に住み始め、すでに6年以上経っていた。開業早々に訪れたバーでは混乱を極めていた。おそらく世界各地からやって来た応援のスタッフの数だけはたくさんいるのに、リレーションが上手くいかず、オーダーしたドリンクがなかなかやって来なかった。気だけ焦ったスタッフがオタオタとしていた。ちょうどその頃の2人のように。

ParkHyatt2NYバーに向かうルートは複雑。エレベータを降り、写真パネルが印象的なジランドールを横目に、絶妙な配置の照明が美しいライブラリーを通り、最上階に向かうエレベータに乗り換える。この時点で、既にワクワク感がかなり高まっている。そして52階に到着し、エレベータを降りる瞬間が、最初に訪れた時からずっと好きだった。仄暗い照明の向こうに、室内の照明より明るく輝く高層ビル群の夜景が足元に広がり、そのまますぅ〜っと空中を浮遊して歩いて行けそうな空間に足を踏み出す。「ご利用はバーですか、レストランですか」とスタッフに尋ねられるまで、足元の眺めに見とれ、立ち止まってしまう。これは毎回のこと。バーの利用だと告げ、案内された席はピアノのすぐ後ろ、都心のスカイスクレーパーを従える、窓際の絶好のポジション。煌めく景色を眺めながら、あの日にもこんな夜景を見せたかったねと語り合う。

ParkHyatt315年前のパーティの夜は雨だった。雨に煙る摩天楼…どころか、パーティ会場から外の景色は全く見えなかった。せっかく夜景を楽しんでもらおうと、窓のある宴会場にしたのに。それが唯一の心残り。それ以外はとても温かく、友人たちだけの(来賓や友人の挨拶もない)こぢんまりとしてリラックスした、料理もお酒も(ずっとシャンパンを飲み続けた友人たち)申し分のない、ずっと記憶に残る、嬉しいパーティだった。そんなことを思い出しながら、記念すべき結婚生活スタートの場所で、2人で乾杯。この店は2次会で来たんだった、大勢でピアノの近くの席に陣取って、誰かがお祝いの曲をリクエストして、などと15年前の記憶が蘇る。その日もジャズトリオがスタンダードナンバーを奏で、女性ヴォーカルが軽やかに歌う。周囲を見回すと、ほとんど日本人(アジア系)客の姿はなく、店名の通りNYCのバーにいるような錯覚に陥る。

ParkHyatt5NYバーが、やっぱり一番好きなバーかな」そんなゼータクなことを呟きながら、お気楽妻が穏やかに微笑む。ライブが終わっても、適度にザワザワとした空気が残り、イケメン揃いのスタッフたちがテーブルの間を流れるように動き、実に絶妙なタイミングで、嫌味なくドリンクのお代わりを勧めてくれる。高級ホテルのサービスにありがちな慇懃無礼な態度はなく、言葉遣いも適度にフレンドリー。妻はこの距離感が心地良いのだと言う。当然のことながら、開業早々のばたつき感はなく、(上から目線で恐縮ながら)落ち着いた良いバーになった。21年の歳月がお気楽夫婦にも同じように流れ、当時のバタバタ(あったのだ)はなく、穏やかに乾杯できる関係になった。周囲の人たちに心配と迷惑を掛け、何を失っても良いなどと嘯いていた。若かったのだ。そんなかつての自分たちを、温かい目で眺められるようになった2人。

生日はやっぱりパークハイアットが良いかな」毎年(私の!)誕生日に、お祝いと称して友人たちを招き、都内のホテルに宿泊するのが恒例になった。来年のターゲットは、確か大手町に開業したアジア系ラグジュアリーホテルを狙っていたはずが、久しぶりにこのお気に入りホテルの魅力に触れ、どうやら惚れ直したらしい。まぁ、それも良し。来年の誕生日は、2人のスタート地点のこの場所で♬

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SINCE 1.May 2005