祝25周年「リリパットアーミーⅡ」

リリパ25周年記念パンフリパットアーミーⅡという劇団を観続けて10年余りが経った。1986年に中島らもと若木え芙(現在はわかぎゑふ)が設立した「笑殺軍団リリパットアーミー」から数えて25周年だという。思えば、この劇団とは(こちらから一方的に)関係が深い。彼らの第1回公演をはじめとした関西での拠点は、扇町ミュージアムスクウェアだった。同じビルの中に、あるエンタメ系企業の関西支社があった。リリパが設立された年、私はそのエンタメ系企業に入社した。1983年に当時コピーライターだった中島らもがカネテツデリカフーズをスポンサーにして、『微笑家族』というコママンガの広告をプレイガイドジャーナルに掲載。その後、私が長く勤めたエンタメ系企業の発行する情報誌に掲載先を変更して長く続いた。ちなみに、リリパットアーミーの舞台では、終演後にスポンサーが提供する名物“ちくわ投げ”が毎回行われた。

リリパ1998ー2006気楽夫婦がリリパを初めて観たのは1997年。第32回公演『白いメリーさん』。中島らも原作の舞台だった。それまでも人気劇団としての噂は聞いていた。けれど、関西中心の公演が多く、東京公演は小屋が小さくチケットが取り難くかった。観てみようと思ったきっかけは、中島らもの『今夜、すべてのバーで』という小説だった。Bunkamuraに勤める飲み友だちの女性が、読みかけのその本をプレゼントしてくれた。アル中で入院した経験に基づき書かれた物語に惹かれただけではなく、その才気に当てられた。酔っぱらった。そして初めての舞台で、わかぎえふ(当時)の演出にも。以降、演劇への意欲を既に失い“名誉座長”から平座員となっていた中島らもの著作を読みまくり、わかぎゑふの作品を買い漁った。

コングさんを囲んでして転機が訪れた。快優「コング桑田」の登場だ。第34回公演『0007マダム・ルージュに愛をこめて』で、初めてコングさんを観た時の衝撃と笑劇。その存在に惚れてしまった。そしてわかぎゑふのもうひとつの演劇ユニット「ラックシステム」との出会い。関西弁で展開する笑いと涙の舞台。ハマった。これは、お気楽夫婦だけで楽しんではいけない!そう決意した2人。(当時はまだご近所ではなかった)ご近所の友人夫妻と、(当時はまだNYCに駐在さえしていなかった)NYC帰りの友人夫妻を誘い、毎回3組6人で出かける芝居になった。ハマった。全員が。リアクションの小さなお気楽妻と違い、公演中も爆笑する友人妻たち。そして友人夫たち。NYC帰りの友人夫妻がNYCに赴任し、しばらくは2組4人での観劇が続き、そして6人での芝居企画が復活した。

罪と、罪なき罪パンフる週末、リリパットアーミーⅡ25周年記念公演『罪と、罪なき罪』を観た。もちろん3組6人で。さらに、その日の目的はもうひとつあった。公演前の特別企画「罪なトークショー×コング桑田の罪なビンゴ大会」だ。6人は全員コングさんのファン。公演前の私服で現れる出演者、リラックスし切ったトーク、暴露話。天然の猛獣コングと、ケダモノを飼い馴らす座長わかぎの絶妙のやり取り。こりゃ楽しい♡心から笑える幸福感。仕事に厳しい金融機関に勤めるNYC帰りの友人夫さえ、あっという間の破顔。口数の少ないご近所の友人夫も大爆笑。そして見事にNYC帰りの友人夫妻は揃ってビンゴの景品をゲット。「もうこれで充分だね。公演観なくても良いぐらい面白かったぁ♫」トークショーの後にコングさんと記念写真を撮り、満足気に声を揃える妻たち。おいおい、そうはいかんでしょ。

「…れ?公演のことには全く触れてないよ」妻の指摘もごもっとも。とは言え、祝25周年!そして、明日の記事に続く。

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