過去の未来、未来の過去『一九八四年』『1Q84 Book3』

19842001年」と聞いたら、映画好きの人なら「宇宙の旅」と続けるだろう。アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックによるSF映画『2001年宇宙の旅』、続編は『2010年』。なんと、今年だ。ちなみに、『鉄腕アトム』の誕生日は2003年4月7日。『2001年宇宙の旅』の全米公開は1968年4月6日、国産アニメの第1号としてスタートしたTVアニメ『鉄腕アトム』の放映開始は1963年。過去にとっての未来は、2010年を生きている我々の“今”が追い越してしまった。日本人宇宙飛行士も宇宙ステーションで長期滞在するなど、宇宙旅行が現実味を帯び、ここ数年ロボット開発技術も格段に進んだ。けれど、過去が夢見た未来はどれぐらい実現できたのだろう。

ョージ・オーウェル著『一九八四年』という小説作品がある。著者のオーウェルは1903年生まれ。『一九八四年』は、彼が亡くなる前年1949年に出版された、13番めで最後の作品。1949年といえば、2度目の世界大戦が終結して4年。中国共産党が国民党に勝利し、中華人民共和国が誕生した年。暗く沈んだトーンで描かれたオーウェルの作品の中では、起きて欲しくない“未来”が描かれている。絶えず国家の監視下に置かれる市民、国家や党が絶対的な存在で、日常的な洗脳が行われている。言論統制、裏切り、密告、拘束、失脚、高級官僚と市民の格差。過去が怖れた悪夢。(あれ?どこかの国では起きてしまっている“未来”だ)

1Q84−Book31Q84』は、2010年という未来から俯瞰した、あったであろう過去と、ありうべからざる過去の話だ。決して起らなかったことが分かっているから、月が夜空にひとつしかない未来人たる2010年に生きる読者は安心していられる。けれど、1949年当時の『一九八四年』の読者にとっては、その陰鬱な未来に不安であったであろう。この夏、村上春樹の『1Q84 Book3』をシンガポールで読んだ。Book1とBook2を読んだのは2009年の夏、香港だった。いずれも、未来と過去が交錯する街。数年前のことでさえ、遠い過去にしてしまうエネルギッシュな街。香港の中国への返還は1997年、わずか13年前。そして、シンガポールの独立は1965年。まだ誕生して45年目の都市国家。観光客向けの顔と、独裁国家の下にある(決して観光客になど見せない)内向きの顔。それに比べ、占領下にあったという自覚さえない東京。関東大震災、東京大空襲、東京オリンピックなどを契機とした変貌を続けながらも、多くの日本人と同様に平板的な表情の街だ。

上春樹の『1Q84』は、『一九八四年』へのオマージュとして描かれた作品だという。本屋でそんなPOPを見て、『一九八四年』を買った。けれど、それは本屋の陰謀だ。村上春樹がどのように言っているのか知らないけれど、オマージュなんかではない、と思う。過去にとっての未来、未来にとっての過去。未来への憧れ、不安、焦燥。過去への羨望、不信、ジレンマ。…ん?いずれにしても、『1Q84』は、高円寺、環七、三軒茶屋など、極狭い東京の西側で起きている不思議な物語。これが日本全国で、世界各地で爆発的に売れていることが不思議な物語。ははぁ。広がりそうで広がらず、ダイナミックな展開になるのかと思えばちんまりと、平板な表情の東京で、こっそりとホントに起きている物語なのかもしれない。

2つのコメントがあります。

  1. 通りすがり


    >村上春樹を好きだと声を大にして言えないのだろう。
    おそらくは高度資本主義後期社会の快楽の中におられるからかと。
    正しくは「ノルウェイの森」で村上春樹が書いたトラウマの痕跡とそれを通り抜けた後の風景を見ていない場合「ノル森」以降の作品にはなじめないのだと思います。
    そこには父の矮小化と母の出現という問題があります。
    「エルサレム・スピーチ」をご参照ください。

  2. IGA


    通りすがりさん、こんにちは。
    詳細に分析していただき恐縮です。
    好きだったのに、売れ過ぎれしまって、
    誰もが知る存在になってしまったのが淋しく
    好きだと言うのが照れるという気分なんです。

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