ボクが64歳になっても「パークハイアット東京」

HBD64-1生日おめでとうございます」と、上品な和風デザートと小さなキャンドルがやって来た。しまった。油断していた。和食の店で、そんなサービスをしていただくとは思いもしなかった。ありがとうございますと、ちょっと照れながら小さな声でお礼を言った。その日は、パークハイアット東京の「梢」で、お気楽妻と2人だけでお祝いの食事をしていた。偏見だけど、和食店に誕生日のお祝いサプライズサービスがあろうとは。

HBD64-2る年のクリスマスイブに、馴染みの寿司屋に行ったところ「ウチで良いんですか?ホントに良いんですか?」と店主に念を押されたことがあった。その時とは立場は逆だけど、そんな感じ。その夜は、美味しく見目麗しい料理を頂きつつ、ひれ酒(フグチリをいただいたこともあり)を飲んでいた。それもまた誕生日の食事としては渋い。そこにキャンドルだ。違和感ではなく、嬉しく不思議な感じ。そして年齢に相応でもある。

HBD64-3々、誕生日にパークハイアットに宿泊しようと提案したのはボクだ。毎年のように、このお気に入りのホテルで自分の生誕を祝いたいというゼータクな願い。ホテル好きのお気楽妻が拒むはずもない企画だ。ところが、チェックインの際に妻が普段とちょっと違う動きをしたのが気になってはいた。店の予約をお願いしただけではなく、ボクの誕生日なのでと、わざわざ含みのある言い方をしたのだ。彼女らしくないアクション。

HBD64-4へへ。実はちょっとホテルの対応を試してみたんだ♬」悪びれることなく自白したお気楽妻。客室には親しくしていただいている宴会部門の責任者だった方から(宿泊をお伝えしていなかったのに)ウェルカムシャンパンも届いていた。世界で一番美味しい!と妻が絶賛するイチゴも添えて。「やっぱりパークはさすがだねぇ」試してみたと言う割には、最初から確信していた模様。妻とホテル、どちらもさすがだ(苦笑)。

HBD64-6は、パークハイアットには前夜から宿泊し、前祝いの乾杯はお気に入りの「ニューヨークバー」で済ませていた。しばらく休んでいたジャズのライブも復活し、とは言えまばらな客の入りを憂いながら、切ない程美しいTOKYOの夜景を眺めて、何となくお祝い気分は済んだ気でいたのだ。そして朝から頭の中ではビートルズの『When I’m Sixty-Four』がずっとリフレインしていた。♬ぼくが歳とって髪の毛が薄くなっても…♪

HBD64-5の曲、実は知らないんだよねぇ」そう言う妻にサビの部分を歌ってやると、やっぱり知らないとつれない返事。君はヴァレンタインや誕生日にお祝いやワインを贈ってくれるかな?と続く歌詞なんだけどなぁ、と独りごつ。そんなことをポールに言われるまでもなく、お気楽妻は毎年のチョコレートは欠かさないし、誕生日もこうして一緒に祝ってくれる。幸いなことにボクの髪の毛が薄くなったのもさほど気にしてない模様だ。

HBD64-7まっていたホテルのポイントでアップグレードしたスイートルームで寛ぐ64歳。好きな本を何冊か持ち込み読書三昧。天空のジム(クラブ・オン・ザ・パーク)に通い、汗を流す。決して何かを成し遂げた人生ではないかもしれないけれど、これで充分だ。まだ仕事は以前と変わらず続け(られ)ている。それも幸福なことだ。腰の大手術はしたけれど、完治したらスカッシュを復活するつもりだ。ありがたいほどに健康だと思う。

HBD64-9して、何より64歳になったボクと一緒にいてくれるお気楽な妻がいる。ポールは「毎年夏にはコテージを借りよう」と歌っているけれど、ボクらはこのホテルに長期滞在でもしようか。そして、『When I’m Sixty-Four』の最後はこんな歌詞で終わる。「ずっとボクを必要として、料理も作ってくれる?ボクが64歳になっても?」…ただし、ウチの場合は料理を作るのは、ボクだ。「それはサイコーだね」と、妻が微笑んだ。

サヨナラ「萬来軒閉店」

IMG_3148建民さんの直弟子だった店主の西脇さん(僕らはずっとただ“おぢちゃん”と呼んでいた)は、若い頃は毎年のように四川省の成都を訪れ、晩年も成都から食材を取り寄せていた。ご近所の名店「萬来軒」の開店は1979年。四川料理という呼称はまだ馴染みがない上に、「麻婆豆腐」に中国山椒を使う店はまだ少なく、客に辛い!と叱られたらしい。その痺れる山椒の麻味(マーウェイ)に魅せられ、30余年通い続けた店だった。

50836354_2249823678620339_7878772275040747520_nに教えず内緒にしておきたい店ではなく、友人たちを誘ってワイワイと食べるのが似合う、お気楽夫婦自慢の店だった。30年余りの間、延べ何十人もの友人たちを誘って一緒におぢちゃんの料理を味わった。美味しいと言われては喜び、また来たい!また連れて行って欲しい!と言われて嬉しい店だった。その店が42年の歴史を閉じた。ここ最近病気で入退院を繰り返していた、僕らの愛するおぢちゃんが亡くなったのだ。

IMG_2411婆豆腐だけではなく、「四川水餃子」がお気楽夫婦のお気に入りだった。大き目のワンタンのような餃子を茹で、芝麻醤が香るタレと辣油でたっぷりと和えてある。添えられた青菜の緑と、紅い自家製の辣油、胡麻と餃子の白が食欲をそそる色合い。味や香りはもちろん、見た目も、歯触りや舌触りも、絶品の一品。毎回飽きる事なくオーダーしてきたから、数十回は食したであろうひと皿だ。他にない、まさしくおぢちゃんの味。

IMG_0398海蟹の季節を待ち侘びて、秋になるといつもの仲間たちと集まる店だった。大勢でメスがに、オスがにを分け合って食べる楽しさ。いつの間にか自分専用のカニフォークを持ち込んだり、参加者全員にキッチンバサミをプレゼントしてくれるメンバーも現れた。お気楽妻は自宅から全員のおしぼりを毎回持参した。夫が妻にカニの身を選り分けるのも恒例。年に1回のイベントを皆が楽しみにしてくれていた。楽しい会だった。

IMG_0397売っ気のない店だった。「上海蟹、今年はLサイズにしたから、去年より100円だけ上げて1,900円にしました」と、申し訳なさそうにおぢちゃんが言った。麻布十番の高級中華料理店が1杯5,000円ほどの頃の話だ。「すいません。今日はいっぱいで」と新規の来店客を断るおばちゃんの声を聞いて、テーブル空いてるし!と皆んなでツッコミを入れた。「夫婦2人で食べて行ければ良いのよ」とおばちゃん。そんな店だった。

IMG_3144来軒のおぢちゃんが退院したから久しぶりに集まろう!といつものメンバーを招集したのは4年前。「この餃子が食べたかったんだよね」「麻婆豆腐も食べなきゃ」「坦々麺も食べたい!」といつもの味を堪能した後には、ホールに出て来てくれたおぢちゃんと記念撮影。痩せてしまったけど、まだまだ元気そうだ。「遺影になるんじゃないの」と、おばちゃんも相変わらずだけど、戻ってきたおぢちゃんの姿に嬉しそうだった。

IMG_1935れど、その後再びおぢちゃんの入退院の日々が続き、コロナ禍も重なり、店はしばらく閉まったままだった。何となく電話をするのも憚られ、何度も店の前まで様子を見に行ったが、店が開く気配はなかった。そしてある日、人伝におぢちゃんの訃報を聞き、閉まったままの店を訪ねた。裏口で迎えてくれたおばちゃんの案内で、店の中に置かれたおぢちゃんの遺影に手を合わせた。店内には手書きのメニューが壁に残っていた。

IMG_0394かしいメニューを眺めながら、牡蠣の辛み炒めがもう一度食べたかったなぁと、口に出すと自分の声が濡れているのが分かった。そこで慌てて、おぢちゃんの焼餃子が基準になってるから、他の店で食べる時、困っちゃうんだよねと、憎まれ口を叩いた。するとおばちゃんが「退院して戻ってきたら世話になったお客さんたちに食べてもらおうって、食材がいっぱい買ってあって、それが山ほどあんのよ」と話してくれた。涙。

IMG_4135サヨナラおぢちゃん。あなたはそんな人でしたね。早めに客が引いて、最後の客になった僕らと一緒に、実に美味しそうにビールを飲んでいた。「1本だけって言われてて、もうこれしか飲めないんですよ」と、それでも笑顔でビールを味わっていた。また一緒に飲みたかった。「やりたいこと全部やったからお迎えが来たのよ」と、久しぶりのおばちゃん節が聞けた。気丈にそう言うけれど、おばちゃんはやはり淋しそうだった。

「何か時代がひとつ終わっちゃった感じ」お気楽妻には珍しく、大袈裟な感想だ。でも、実にその通り。一代限り、いつか食べられなくなってしまうと覚悟していたけれど、その日がやって来てしまった。おぢちゃんの残した食材で、おばちゃんが餃子だけでも作ってくれる機会があれば、連絡をしてもらうことにして店を出た。当てにせず、それでも楽しみに待つことにしよう。合掌。

術後100日を過ぎて「お気楽夫婦的フツーの生活」

Ordinary Life01後3ヶ月の診察で担当医が宣うた。「うん、これは順調だ。フツーの生活して良いよ。コルセットも外しても大丈夫。あ、今日してきたんだ」1ヶ月目の診察でハードなコルセットをせずに受診して、完治を保証しないと脅かされたから装着して行ったのに、この言い草だ。とは言え、嬉しいご宣託だ。「あ、運動はまだダメだよ」ん?私にとって普通の生活とは、週に数度ジムに通い身体を動かす生活のことだ。

Ordinary Life03はいつから可能かと尋ねると「2ヶ月だな。次回2ヶ月後に診察して、たぶん大丈夫だろう」詳しく確認すれば、自転車はOK、ストレッチはダメ、走るのはNG(その時の自分に走れるとは思ってはいなかったが。着地の際に患部がハデに痛むのだ)腰を急に捻っちゃダメだよ!とのこと。やはりスカッシュは術後1年後か。何たってあのスポーツは、腰を捻りまくる。瞬時に動く。走りまくる。思えば身体に悪いスポーツだ。

Ordinary Life05ツーの生活をさっそく実行だ。コロナ禍で遠ざかっていたとは言え、12月は1年間お世話になった店に年末のご挨拶に伺うのが恒例だ。松陰神社前の「ビストロ・トロワキャール」ではビストロ料理の師匠でもあるシェフの聡ちゃん、マダムのまゆみちゃんに入院中のエピソードを披露。用賀の京料理の名店「本城」では大将とお互いの症状を語り合う。すっかり話題が病気やら体調やら。つくづく歳を取ったものだと実感する。

Ordinary Life08泉の「遠藤利三郎商店」の若手女性スタッフがソムリエ試験に合格というNEWS。それはお祝いしなきゃと店に向かった。いつもの席に案内され、シャンパンとスパークリング(妻は水)で乾杯。相変わらず料理はストレートに美味しいし、合わせて選んでいただくワインもぴったり。いつものようにワイン袋持参でオススメのお手頃ワインを何本か持ち帰り。術後に何故か酒量が減った代わりに、ささやかな店への応援として。

Ordinary Life10ストロ808も再開した。友人を自宅に招き、シェフ(私のことだが)のお任せ料理を召し上がっていただく完全個室(笑)のビストロ。ゲストは自分の飲みたいものを飲めるだけ持参するのがお約束。その日のゲストは2人で泡と赤白各1本を飲み干した後、「カラオケ808」に店名変更した店内で熱唱。皆でカラオケBOXに行くのも躊躇ってしまうご時世だから、次回からそのメンバーの恒例となりそうな予感だ。まぁ、それも良し。

Ordinary Life15宅で食事する際は、お気楽妻が専属シェフと呼ぶ私の出番だ。フツーの生活、すなわち家事三昧の日々。今まではコルセット装着しているために腰を曲げられず不自由だった身体が(完全ではないが)解放された。掃除機のコンセントの着脱も、トイレ掃除も、もちろん料理も妻の手を煩わせることもない。朝食を作り、妻の出勤を見送った後に掃除、洗濯、そして引き続きのリモートワークの日々。*出勤はまだ週に1,2回程度。

Ordinary Life12るのは運動不足の解消、すなわち増え過ぎた体重を戻すこと。担当医のことばを拡大解釈し、着地の衝撃のないクロスウォーカーやエアロバイクの利用限定でジムにも通い出した。鈍った筋肉も回復しつつあるようで、代謝も上がり汗がかけるようになってきた。2着しか着られなくなっていたスーツを着回すのは限界がある。全てのスーツが着られるよう腰回りの贅肉を落とさねば。それができて初めて「フツーの生活」だ。

コロナ禍に加えて、脊椎管狭窄症の手術、長期療養というフツーではなかった私の2021年が終わろうとしている。フツーではなかったからこそフツーの有り難さがしみじみ分かった1年でもあった。何年(フツーなら?2年弱)か後に妻の卒業(定年退職)を控え、お気楽夫婦にとって本格的な老後が目の前に見え始めている。人生の終盤をどのように生きたいか、そのための手術でもあった。骨が付くまであと数ヶ月、待ってろよ2022年!まだまだしばらく元気でいてやる!

002255040

SINCE 1.May 2005