退院後しばらくして大きな箱が届いた。中に入っていたのは旬のフルーツと、シャンパン。それも大量の可愛いベビーボトル。おぉっと声が出た。一緒にスカッシュをやっている(復帰を前提に敢えて「やっていた」とは書かない)仲間たちからだった。思わず笑みが溢れる。自宅でのひとり酒にはぴったり。さすが長年の付き合いだ。贈ってくれた友人たちの顔が浮かぶ。外出できない私を慮って図書カードがあるのも嬉しい。
後日、いただいたシャンパンを飲むための料理を作る。毎日在宅勤務で、買物や散歩で出かける程度で外出できない身にとっては、自らの手料理は日々の楽しみだ。メインはシャンパンだから、逆算してシャンパンに合わせるメニューを考える。シャインマスカットなどのフルーツとクリームチーズのサラダ。トマトたっぷりのビーフストロガノフ。そして何よりも美味しいパンの盛合せ。*病院のコメ食の反動でパン三昧の日々。
博多からも到来もの。美味しい街から届いたのは、フグのコンフィ詰合せ。これは嬉しい。プレーン、中華風味、バジル風味の3種。美味しいもの好きの飲んべいの友人が選んだ「博多のフク(博多ではフグは濁らず、縁起の良い「福」に繋がるからフクと呼ぶ)」だ。不味かろうはずがない。高級食材のフクを気軽に食べられるようにとオイル漬けにしたと女将が語る、博多の料亭「い津”み」が生んだ新しい食べ方の提案だ。
さっそくカリカリのバゲットを薄く切って、サクサクに焼いたメルバトーストに3種の福を乗せ、ぱくり♬むふっ、旨い。頂き物だから、お高いモノだろうが敢えて気にせずゼータクに盛り付ける。これこそが到来モノの醍醐味。嫌らしい言い方をすれば、自分の懐が痛んでいないからこそできる贅沢。贈った方も自分用にだったらもったいなくて買えないくらいの品だと思う。贈答品消費の“あるある”だ。ありがたく味わう。
神が不在だという神無月、10月はお気楽夫婦の記念日ラッシュ。妻の誕生日に真っ赤な薔薇の花束を贈る。贈る方も受け取る方も小っ恥ずかしがっては負け(笑)。学生時代に花屋でのアルバイト経験がある私は、若い頃から照れずに堂々と花束を贈ってきた。思えばバラの花束も典型的な贈答品消費。女性の誕生日や記念日、お祝いに贈るのはお約束。銀座方面ではめっきり花屋の売上が落ち込んでいるという。踏ん張れ!夜の街。
実はこの花束、閉店間際の花屋に飛び込んだら「最後の10本なので半額にしておきます」と嬉しい価格だった。ところが、花瓶に挿して飾った翌日には頭を垂らし始めた。むむっ。バイトで得たノウハウで水切りをしても元気にならない。そこで閃いた。幸い花びらは元気だからバラ風呂にしよう♫これも夫婦間でのプレゼントとは言え、贈ったモノだからこそできる贅沢だ。いずれにしても、外向きではなくウチ向きの消費。
そして結婚記念日の月でもある10月、いただいたシャンパンと豪勢に焼いたサーロインのタリアータ、そしてご近所の名店「ユウ ササゲ」にて手配したシャルロットマロンでお祝い。例年なら友人たちと行きつけのビストロで一緒に乾杯しているところだが、今年は残念ながら2人だけで乾杯。ワクチンの接種率も上がり、陽性者も確実に減り、かつての日常が戻ってきそうな気配もありつつ、まだまだ今まで通りとはいかない。
例えば、このタリアータ用の肉は、今までであればお店で食べていたはず。自分で焼いた肉も美味しいけれど、プロの技には遠く及ばない。友人たちが贈ってくれたシャンパンも、本来なら皆んなで大きなボトルで飲みたいところだ。けれども、毎日のように外食をすることはなく、頻繁に友人たちと集まることはない。一度変化した消費のスタイルや生活のリズムは全く同じ形には戻らない。そう、世界は変わったのだ。
お気楽夫婦は、二重の理由で新たな日常を迎えている。無事に手術を終え退院したものの、日常生活に制約は多い。在宅勤務の毎日、コロナ対策と療養、運動不足を補う散歩、矛盾とストレスに溢れた日々。友人をランチに誘うのにもドキドキだ。誘っていいものか、相手の感染予防ポリシーが気になる。…ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水にはあらず。一見同じように見えても、今までとは異なる新たな日常が始まった。
変わらないモノもある。久しぶりに友人と会って(みやさん、ありがとう♬)目の前で語り、同じものを食べ、笑い合い、リアルな空間と時間を共有することの楽しさを思い出した。これは人には必要だ。そして店舗での飲酒が解禁され、プロが注ぐキリッと冷えた生ビールを飲み、揚げたてのフライドポテトを頬張る。これも絶対に2人の人生に必要だ(笑)。新たなライフスタイルの中にも、忘れてはいけない大切なモノがある。
9月初旬から、多摩川を渡ったある場所で15泊16日の長期滞在。これがヴァカンスだったら良いのだけれど、残念ながら手術のための入院だった。とは言え、こんな機会だからと浅田次郎の『蒼穹の昴』から始まる中国シリーズを病室に持参した。せめてもの楽しみとして一気に再読し、登場人物や時代背景の再整理をしながら味わい尽くす作戦だ。刊行時期が異なる作品を連続して読めるのは嬉しい!とビビる自分に言い聞かせる。
と言うのも、かなりの大手術だったのだ。腰椎のすべり症による脊椎管狭窄症の根本治療として、背中を切開し、骨を削り、脊椎間に埋め、ズレた脊椎を金属のボルトで矯正すると言うもの。想像しただけでも恐ろしい。術後は24時間×数日間ドレーンで血液を抜き、血栓症予防のためにフットポンプでふくらはぎを圧迫する。痛みと圧迫の刺激で眠れる…訳がない夜を過ごす。なかなか朝はやって来ず、こりゃ拷問か!と涙した。
手術前後の画像を比較すると、すべり症でズレていた脊椎が矯正されて真っ直ぐに並んでいるのが素人目にも分かる。神経群の通る隙間が広がり、両脚の痛みや痺れを起こしていた原因が除去された、はずだ。そして、矯正のためのボルトが恐ろしげで、我ながら痛々しい。
その上、手術前のCT画像の分析で、私の背骨は右に大きく傾いていたことが分かった。若い頃から右肩が下がっている姿勢だったのは、これが原因だったのか!と納得。もちろん、この右傾化も矯正して中道を行く人生になる。但し、歪んで偏った性格は(好きなので)矯正はしない。
後ろにズレて、右に傾いた脊椎を真っ直ぐにする手術は、ボルトはあくまでもサポートで、自分の骨同士が接合されることが目的。せっかく矯正した骨が元に戻らないように、コルセットで押さえてサポートする必要がある。これが辛い。暑い時期は蒸れることを予想して秋口に手術を決めたのは正解だった。重いし、身体に当たる部分が痛いし、涼しくなった今の季節でこの蒸れ具合では、暑かった夏に手術だったらとゾッとする。
オリジナルのサイズで製作したコルセットは、フィットするが故に当たりが痛い。着衣の上に装着するようにと言う指導を守っても、何ヶ所か水疱ができた。これも治療とは言え、退院後も日常的に着けている必要があり、拷問に近い。事前に調べていたところ、睡眠中も着けるという情報もあったがために困惑していたが、(治療方針の違いか)その必要はないとの主治医の一言が何とも嬉しかった。彼が神々しくさえ見えた(涙)。
それにしても、コロナ禍でも言われる「当然と思っていた日常のありがたさ」が更に身に沁みる。腰が曲げられないから、床に落ちたモノはスクワットのように腰を落として拾うしかない。パンツや靴下が履けない。これで1年後にスカッシュができるのか不安になる。「大丈夫。あなたは筋力も体力も、ついでに私のサポートもあるし」とお気楽妻の一言が嬉しい。そして、内臓疾患ではないから酒が飲める事が一番ありがたい♬
辛かった入院生活は所詮2週間余り。本当に大変なのは、術後に何ヶ月も続く不自由な“非日常的な日常”生活なのかもしれない。以前の生活、以前いた“場所”に戻れるように、焦らず、急がず、丁寧に過ごしたい。
数年前に腰椎のすべり症と診断された。MRIの画像では、素人目でも腰椎のひとつが見事にずれているのが分かった。時折起こる脚の痺れや痛みは、腰椎が脊髄神経を圧迫する脊椎管狭窄症によるものだとの診断も納得だった。さらに、10数年前に坐骨神経痛と診断されたのも、原因はこれか!と。ズレは元には戻らないから、周囲の筋肉を鍛えて支えるためにパーソナルトレーニングの頻度を増やし、スカッシュを続けてきた。
ところが、痺れの頻度が増した。痛みが居座り、日常生活にも支障が出る。これはマズイと再検査の結果、保存治療は限界で、手術をした方が良いのではとの診断。「よくこれで歩けてますねぇ」と担当医。確かに画像を見ると神経が通る隙間がない。セカンドオピニオンの専門医の見解も、画像を見るなり「こりゃひどいね!」との第一声。「これから痛みも酷くなる可能性が高いね」との診断。即刻、手術することを決めた。
妻に手術を決めたと告げると、「このサイトを読んでみたら?」といくつかの手術体験者のブログを示す。手術を検討し始めた頃から、いろいろと調べてくれたらしい。手術の執刀医(予定)から最小限の情報は得たものの、体験者のリアルな情報はありがたい。*手術後に装着するコルセット(3ヶ月ほど寝る時も装着!)の画像は「にこにこさん」のブログから許可を得て掲載。他にも妻の調査は多岐に渡る。優秀な秘書、妻に感謝。
手術は「腰椎後方固定術」という、ずれた腰椎を矯正しボルトで固定するもの。実寸に近いものだと見せられた模型は、予想以上に大きく、ゴツく、正直ビビる。背中から3カ所ほどメスを入れる手術は、全身麻酔の時間も含め3時間ほどらしい。骨が固まるまで装着するコルセットは個別にオーダー。退院後すぐにゴルフに行って、病院に逆戻りして再手術という事例(汗)を妻が発見。しばらくは運動ができないということだ。
リスクがあることを理解した上で手術をするか、痛みを我慢して暮らすか、迷いが全くない訳ではない。プレー中に痛みが酷くなる場合もあるが、週に2回もスカッシュができている。年齢相応以上(?)のハードな動きでプレーしている自負もある。手術は不要か?しかし、まだ63歳。自分に体力のある内に、対症療法だけではなく、原因療法を選択したい。そして、改善された身体で今の生活に戻りたい。それが結論だ。
「まだ一緒にスカッシュしなきゃだし、パークハイアットのジムで走らなきゃ!」と妻。それこそが、戻りたい“今”の生活だ。半年は運動ができず、スカッシュできるようになるまでは1年との主治医の見立て。コルセットをして通勤するのはハードルが高いが、幸いなことに勤務先のリモートワークが定着し、3ヶ月ほど出社せずに執務できそうだ。3ヶ月後におそるおそる通勤を開始し、半年後にはジム通い再開が目標だ。
今への帰還、映画タイトル的には「Back to the Future」ならぬ「Back to the Now」 。あるいは、マッカーサーではないけれど「I shall return」の心意気だ。復帰のための準備も開始。ジムに通えるようになるまで、筋力、体力が衰えないように秘密兵器を手配。退院後に組み立ては困難と判断し、早々にポチッと購入しセッティング。腰を固定したままでも使えるだろうと判断したマシン、その名も「FIT BOX」ただの箱ではない。
箱の中から現れたのは、フィットネスバイク。もちろんそのまま入っているのではなく、ひぃひぃ言いながら1時間ほどかけて組み立てた。予想以上に重く(手術後だったら組み立て不可能?)、本格的で、リビングに置ける(妻もギリギリ許容した)スタイリッシュなデザイン。そして電源不要でマンションでも安心の静音仕様。さらに意外にもコンパクト。これなら雨の日でも、台風が来ても、毎日自宅でトレーニングできる、はず。
そして、私が最も戻りたい、お気楽妻と共に戻るべき場所こそが、この場所だ。・・・We shall play SQUASH !!