「明日の朝、タマゴ食べる?」「うぅ〜ん、どうしようかぁ」しばし逡巡。「サラダだけにする?」さらに悩むことしばし。「やっぱりタマゴ食べよう!最近、あなたの作るオムレツ美味しいしね」「おぉ〜っ、それは嬉しい♬じゃあ、タマゴ買って帰ろう」休日の前夜、お気楽夫婦の会話。2人を良く知る方になら説明するまでもない。聞いているのは夫たる私、私の作るオムレツを誉めているのはお気楽妻。これがお気楽な2人の日常。小食な2人の朝食は、トーストとヨーグルト、ミルクたっぷりのコーヒーと紅茶が定番。サラダやタマゴ料理を食べるのは休日の朝だけ。それも週末に食べ過ぎた場合や、早い時間からジムに行く場合は、朝食を軽く済ませるために平日と同様のメニューにすることも多い。
ところで、大げさに料理と呼べる程ではないにせよ、朝食を担当するのは私。土曜日はオムレツ、日曜は半熟目玉焼き、それぞれに簡単なサラダを添えるのがお約束。その卵料理用のフライパンを最近買い換えた。それまでは鉄製のオムレツパンと、やはり鉄製のステーキパンを使っていた。お気楽妻は自ら料理をしなくても、調理器具にはなぜか拘り、鉄製のフライパンを良しとしていた。ちなみに中華鍋も鉄製の北京鍋。ところが、この扱いが難しい。手入れも大変。そこで、台所を預かる私(笑)としては、T-FAL(ティファール)のフライパンを切望していた。提案すること数度。その度に却下され、それにもメゲずになんとかプレゼンに成功。ようやく待望のフライパンがやって来た。
「美味しいぃ〜♬」休日の朝、妻が満足そうに頷く。フォークを入れるとふんわりとした表面が柔らかに破れ、半生のタマゴがとろぉ〜りと流れ出る。口に運ぶと、バターの香りと挽きたてブラックペッパーの香りが広がる。ん、確かに美味しい。我ながらなかなか良い出来だ。それにしても、このテフロン加工のフライパンは失敗がない。実に使い易い。もっと早くから使うんだった。使うバターや油はほんの少しで良い。食欲が増す秋に、やや体重オーバーと嘆く妻にも好評。生食用のホウレンソウとダイコンのサラダ、プレーンヨーグルトと自家製のブルーベリーのソース、トーストというシンプルながら2人には充分な休日の朝食。
「炒め物も焦げなくって良いよね」先日、一緒に缶詰を使った料理をした際に、私のアシスタントとして料理をした妻の感触も悪くない。よし、このタイミングで次のプレゼンだ。狙うは、炒め物用の大きなフライパンだ。
…そんな風に、日々明確になっていく、お気楽夫婦の役割分担だった。
毎年9月に入るとお気楽妻がそわそわし出す。そんな妻に促され、いつもの仲間たちに招集をかける。集まるのはいつもの中華料理店、千歳烏山の萬来軒。わざわざ大勢で秋に集まる目的は、妻の大好物のひとつ、上海ガニ。中国では大閘蟹(ダージャーシエ)と呼ばれるモクズガニの一種。その上海ガニの旬は秋。九円十尖と言われ、9月には腹が丸いメスガニが美味しく、10月には腹の尖ったオスが美味しいという意味。ちなみに旧暦でのことだから、内子の詰まったメスガニの旬は10月頃、蟹ミソが美味しいオスガニは11月ということになる。
萬来軒はお気楽夫婦の馴染みの四川料理店。店の外観はご近所の中華定食屋の風情。けれど侮ってはいけない。この店のおじちゃんは、日本における四川料理の第一人者であった陳建民に師事。烏山で店を始めて30年以上になる隠れた名店だ。テーブルは4つ半。20人入れば立錐の余地なしの小さな店。圧倒的に顔馴染みの客が多く、週末は予約で一杯のこともある。ここに通い始めて四半世紀。店のテーブルでお絵描きをしていた息子さんは、大学を卒業して就職。跡は継がない。そんな一代限りの名店に、今年も仲間と一緒に集まった。
「久しぶりぃ〜っ♬」「元気そうだねぇ♡」集まったのは、残念ながら急遽欠席となってしまったご近所に住む友人夫婦を除き、いつものメンバー3組6人。メインの上海ガニの前に牡蛎と銀杏の甘辛炒め、鶏の唐辛子炒めなどの四川料理とビールでテンションを上げる。ん、んまぁ〜いっ!余りの辛さに汗をかきつつビールをぐびり。これまた旨い。そして、この店ご自慢の瓶出し紹興酒をロックで飲む頃に真打ち登場。今年はゼータクして1人1パイ。一皿づつ盛られた蒸しガニ。「うっわぁ〜!」という歓声と同時に、一斉に写メを撮る仲間たち。
独特の黄金色に輝く内子の脂が眩しい。各自持参のキッチンばさみ、カニフォーク(上海ガニ用に小さいサイズ)、そしてオシボリ(店が出してくれるものでは足りない)をテーブルに乗せ、上海ガニに挑む。カニで静かになる…メンバーではなく、わいわいと語り、紹興酒を酌み交わしながらカニの身を丁寧にほじり出す。そして身の上に内子を乗せ、生姜醤油を付け、ぱくり♬くぅ〜っ!今年もこうして季節の味を楽しめる幸せ。シメには、大ぶりなのにジュ〜シ〜&カリカリの焼餃子、海鮮おこげ、お店の看板メニューの担々麺などを平らげる。
「おばちゃん、これ皆から♬飲んで!」帰り際にお渡ししたのは、浦霞のひやおろし。接客担当のおばちゃんが大好きな日本酒をプレゼント。「あぁら、浦霞美味しいよね!」「ありがとうございます。じゃあちょっと飲んでみてくださいよ」いつの間にか調理場から出てきたおじちゃんから献杯。おぉ〜っ!爽やかな飲口!なんて美味しいんだっ!お隣に座った見知らぬ常連さんにもおススメし乾杯。「来週また来て、ご馳走してくださいよ」と返される。うはは、楽しい。
「今日も楽しかったねぇ」「やっぱり上海がに旨いねぇ」そぞろ歩きながら2軒目は、秘密のBAR808に向う。秋の夜長。人恋しく、美味多く、酒旨し。良い季節だぁ!「酔っぱらってるでしょう?」と妻。はい、しっかりと。でも、楽し〜いっ♬そんな人生、実りの秋。
故人となってしまったロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズが、お気楽夫婦のヴァカンスの友だった。何冊か旅先で読む本をスーツケースに詰め込む夏の旅に、必ず1冊新作のハードカヴァーを選んでいた。ところが(仕方ないのだけれど)残されたパーカーの新作は日本未発売の2冊だけ。困った。そこで2人はスペンサーに代わる探偵を捜していた。そしてこの夏、1人の候補者を発見した。東直己「ススキノ探偵シリーズ」の主人公。名前は、俺。札幌、ススキノ在住。作品中では名を明かすことがない。誰かに自分の名前を呼ばれる場面ですら、巧妙に名を記すことを避ける。探偵と呼ぶよりも便利屋の方が相応しい。相棒は北海道大学時代の同級生、空手の達人の高田。この2人の関係が実に良い。
ボストンの私立探偵スペンサーにも相棒はいる。ホークという、やはり格闘技の達人。ボストンの2人は互いを信頼し、支えながらも依存し切らないオトナの関係。セリフのやり取りもウィットに富み、ふふっと思わず笑ってしまい、2人と一緒にウィスキーのオンザロックスでカチンと乾杯したくなる。ところが札幌の2人は、だらしがない。俺は高田を頼りにしているけれど、高田は仕方ねぇなぁ〜という感じで、でもほぼ確実にサポートに回る。とは言え信頼し合ってはいて、打算的ではないけれど、オトナの関係ではない。ガキである。だからこそ面白い。一緒懸命な俺と、とぼけた高田の、ズレた、それでも息の合った会話が実に良い。スペンサーの後継者としてお気楽夫婦のおメガネに適い、一気に全作品をオトナ買い。
そんな2人が映画に登場した。原作はシリーズ第2作『バーにかかってきた電話』、映画のタイトルは第1作『探偵はバーにいる』から取った『探偵はBARにいる』という作品。主人公の俺は、大泉洋。高田は、松田龍平。この2人が絶妙。掛け合いの間が良い。大泉のキャラは“俺”にぴったりだと映画を観る前から期待していたけれど、松田龍平がなんとも高田なのだ。力の抜け具合が、“俺”とは違った意味で浮世離れしたスタンスが、ツボ。くははっ!と笑ってしまう。原作との比較はするまい。これはシリーズ化しても面白い、小説とは違う種類のエンタテインメントだ。と思って観ていたら、エンディングロールで次回作を思わせるシーンが挟み込まれた。やられた。そして期待大。原作とは少しテイストが違うけれど、『釣りバカ日誌』が人気シリーズになったように。
ところで、東直己はススキノ探偵シリーズと並行して、もうひとつの探偵物語を現在の札幌を舞台に描いている。畝原という名の、ちゃんとした(してもいないか)探偵。まだ第1作『待っていた女・渇き』を読んでいる途中だけれど、これまたオトナ買い。やはり中年のスーパーマンではない主人公が好感度高し。一方、ススキノ探偵シリーズの俺は、第6作『探偵は吹雪の果てに』で一気に40代になり、今の札幌で活動している。長年たっぷり飲み続けたがために、お腹が緩くなる傾向にあり、ウォシュレット付きのトイレに拘る立派な中年になっている。ぷっ!と読みながら吹いてしまう描写もあり、電車内では注意をして読んでいる。5作までの硬さがやや薄れ、味わいのある物語になっているが、俺の魅力はそのまま。第8作まで読んだところで小休止。その間に畝原の物語を読み進め、2つのシリーズの時代の調整をしている。
「すっかりハマったよね」ハードボイルド好きの妻にも刺さった。日本映画など滅多に観に行かないのに、映画まで同行。映画を観終わり、お気に入りの沖縄料理屋(バーではなく)に向う。オリオンの生にミミガー、ラフテー、クーブーイリチーなどをつまみながら、原作と映画の違い、キャスティングなどでひとくさり。
お気楽夫婦は飲み屋にいる。

*いずれもじっくり秋の夜を酒を飲みながら楽しめる作品(飲み過ぎ注意!)