プロスカッシュプレーヤー松井千夏。お気楽夫婦が初めて彼女に会ったのは1999年。彼女が学生チャンピオンになった年だった。コーチであり、日本体育大学の先輩に当たる山崎コーチの元、日本チャンピオンを目指していた。ハードな練習をしていた。当時、すでにフィジカルも、テクニックでも、日本のトップになる逸材だった。けれど、メンタル面での弱さが素人の我々にも伝わった。ある大会を応援に行った際、1stゲームを先取され、コートを出た彼女がコーチの山ちゃんを探す目は、巣立ちできないヒナのものだった。けれど、鍛えられ日に日に逞しくなる若鳥は、2001年日本チャンピオンになった。優勝した日、「計画より1年早かったですね」と呟いた山ちゃんのことばには、満足感の中に不安も含まれていた。
それから間もなく若鳥は巣立った。プロのスカッシュプレーヤーとして、世界を目指した。世界各地を転戦した。お気楽夫婦は、彼女が出場する香港オープンに応援に出かけたこともあった。1回戦で負けてしまった彼女と満福樓で食事をした。好物のマンゴープリンを嬉しそうに食べる彼女は、まだまだひ弱な若鳥だった。彼女がホームコートや所属を変えても、お気楽夫婦はずっと彼女を応援し続けた。逞しくなり、強くなった。その後の全日本も何度か制した。日本スカッシュ界の広告塔としてマスコミの露出が増えた。大会会場で彼女を取り巻く顔ぶれが変わった。声が掛け辛くなった。けれど、僕らの千夏ではなくなっても、松井千夏はお気楽夫婦の誇りだった。2人にとっては、いつまでも巣立った頃までの、若き僕らの千夏のままだった。
その千夏が帰って来た。お気楽夫婦の通うホームコートへ。正確には、所属が変わった訳でもなく、彼女のホームコートになったわけでもない。週2回、ナショナルコーチとなった山ちゃんの元に、日本代表である彼女が練習に来ているだけ。けれど、千夏と山ちゃんがコートに入っている姿を見ると、コートサイドで千夏がアドバイスを受けている姿を眺めると、何も変わってない気がして、複雑な気持と嬉しさが交差した。よしっ、美味しいモノ食べに行くよ!「良いですねぇ♬お願いします」ある週末、たん熊北店 二子玉川店に向かった。店長だった本城さんがいなくなっても、予約するのはいつもの席。カウンタの右端。そして、そこには料理長の保坂さんの変わらぬ笑顔があった。「いらっしゃまいませ。お久しぶりです」心なしか、保坂さんと交わす挨拶も少しぎこちない。
練習で少し遅れて来た千夏を料理長に紹介する。「それは凄いですね。日本代表で出場されるんですか」その日は東アジア選手権に出場する彼女の壮行会でもあった。「サッカーもそうですけど、日の丸を背負うのってプレッシャーかかりますか」「いえ、わくわくします。私はあの感じ好きですね」保坂さんを挟んで、今まで彼女に聞けなかった話もできる。「美味しいですねぇ」たん熊の料理も相変わらず優しく丁寧で美味しい。鱧の握りは涙ものの一品。この店には本城さんがいなくても、保坂さんがいる。「本城さんのとこも行かれてますか」はい、もちろんです。「あの値段で、あの料理だされてるんは凄いですねぇ。ほんとに我々の目標になります」そうだよ、千夏。君はまだまだトップを目指し、皆の目標になり、スカッシュの魅力を伝えていく役割があるんだよ。料理の話とスカッシュの話が交錯する。千夏も大人になった。保坂さんとの会話もスムースになった。
「これ召し上がってみてください。味噌と抹茶のプリンです。まだ研究途中のものなんですけど」「うわぁ♡美味しい♬ほんとに味噌ですか」保坂さんが出してくれたデザートは、癖のある素材同士の良いところを活かした絶品の味。「目が輝いてます。良い目してらっしゃいますね」と保坂さんが千夏を褒めれば、千夏も保坂さんの料理を絶賛。極めようとする道は違っても、高みを目指そうとするもののオーラは相手に伝わる。「美味しかったです、ごちそうさまでした」「ありがとうございました。次回は優勝のお祝いでいらしてください」楽しく嬉しい席だった。僕らのホームコートに帰って来た千夏、次回は祝勝会で!
…と書いたところで、千夏のブログをチェックしたら、韓国や強豪の香港を破り、見事優勝!とのこと。おめでとう!
■食いしん坊夫婦の御用達「たん熊北店 二子玉川店」

学生時代から仲間を集めて飲みに行ったり、旅行をしたり、絵を観に行ったり、“遊び”の企画をするのが好きだった。企画のきっかけは、美味しい店の情報だったり、バイト先でもらった美術展のチケットだったり。誰を誘うか、いつならメンバーの都合が良いか、どれぐらいの予算なら誘われるのに負担はないか…。年齢と共に企画内容の違いはあれ、現在まで綿々と同じようなことをやっていることに気付いた。典型的な幹事気質。仲間を誘って一緒に行動するのが好きなのだ。付き合っていた女の子とのデートでも同様の役割。ここに行こうか、あの映画を観ようか、あれを食べようか…。

お金はない代わりに、時間が無限にあった学生時代。企画のコンセプトは明確だった。各駅停車の夜行電車に乗ってあちこちに出かけた。3本立ての名画座をハシゴした。チケット代の安いロックフェスに出かけた。安くて美味しい店で飲み、食べた。一杯のコーヒーで長居しても、決して居心地の悪くならない喫茶店に通った。年齢を重ねると共に、経済的な制約が減った代わりに、時間がなくなった。同時に、誘う相手に多種多様な制約ができた。仕事が忙しく、結婚し、子供ができ、両親の体調が、会社の状況が…。時間的、経済的優先順位がそれぞれある中で、企画を成立させるのは難しくなる。集まるきっかけが必要になる。誰かが声を掛けて、ダンドリをする必要がある。

「リリパのチケットが×月×日に発売されます。日程は○月○日でいかが?」妻が友人たちにメールを送る。彼女は幹事というよりは、秘書気質。当日のダンドリをきちんと準備していないと落ち着かないタイプ。「その日は公演の前に4時からイベントがあるから、終わったら食事して…」計画を立てるのが好きなのは一緒。けれど、当日のノリを過剰に想定し、暴走する計画を最初から立ててしまう営業的幹事気質の私に対して、妻は冷静。「終演の時間が遅いから、やっぱりイベントの後で食事の方が良いね…」リリパットアーミー25周年記念公演『罪と、罪なき罪』の会場は座・高円寺。イベントが終わり、本公演までの1時間。短期決戦。向かったのは沖縄料理の老舗、抱瓶。

「へぇ〜、中央線っぽい」「何だか面白い街だねぇ」店までの道すがら、ガード下の猥雑な街並に友人たちがそれぞれ興味を示す。「おぉ〜、沖縄っぽい」「ディープな感じだねぇ」爆笑し続けたイベントの余韻も引きずりながら、会話が弾む。そんな様子を見て秘書気質の妻がほくそ笑む。「かりかりポークだったら食べられるよね」「え、何すか?ポークって?」「沖縄ではスパムのことをポークって言うんだよ」原型を止める肉が食べられないNYC帰りの友人夫と、いつもより饒舌なお気楽妻の会話。「美味しい♪」「クーブーイリチって言ってね…」「美味しいね、これ家でも作ってみようかな」楽しそうな友人妻たちの様子に満足げなお気楽妻。
「美味しかったね♡」「ほんと、旨かったぁ」満足げな様子で店を出る友人たち。幹事気質と秘書気質のお気楽夫婦にとっては、そのことばが嬉しさの源。企画実施のモチベーション。誰かがマメに企画しなければ、親しい友人たちですら会う頻度は低くなる。その企画を立てること自体を楽しむお気楽夫婦。幹事役は適役。「次は何の企画で皆を誘おうか」妻の目が輝く。
■お気楽夫婦の御用達「沖縄居酒屋 抱瓶」
リリパットアーミーⅡという劇団を観続けて10年余りが経った。1986年に中島らもと若木え芙(現在はわかぎゑふ)が設立した「笑殺軍団リリパットアーミー」から数えて25周年だという。思えば、この劇団とは(こちらから一方的に)関係が深い。彼らの第1回公演をはじめとした関西での拠点は、扇町ミュージアムスクウェアだった。同じビルの中に、あるエンタメ系企業の関西支社があった。リリパが設立された年、私はそのエンタメ系企業に入社した。1983年に当時コピーライターだった中島らもがカネテツデリカフーズをスポンサーにして、『微笑家族』というコママンガの広告をプレイガイドジャーナルに掲載。その後、私が長く勤めたエンタメ系企業の発行する情報誌に掲載先を変更して長く続いた。ちなみに、リリパットアーミーの舞台では、終演後にスポンサーが提供する名物“ちくわ投げ”が毎回行われた。
お気楽夫婦がリリパを初めて観たのは1997年。第32回公演『白いメリーさん』。中島らも原作の舞台だった。それまでも人気劇団としての噂は聞いていた。けれど、関西中心の公演が多く、東京公演は小屋が小さくチケットが取り難くかった。観てみようと思ったきっかけは、中島らもの『今夜、すべてのバーで』という小説だった。Bunkamuraに勤める飲み友だちの女性が、読みかけのその本をプレゼントしてくれた。アル中で入院した経験に基づき書かれた物語に惹かれただけではなく、その才気に当てられた。酔っぱらった。そして初めての舞台で、わかぎえふ(当時)の演出にも。以降、演劇への意欲を既に失い“名誉座長”から平座員となっていた中島らもの著作を読みまくり、わかぎゑふの作品を買い漁った。
そして転機が訪れた。快優「コング桑田」の登場だ。第34回公演『0007マダム・ルージュに愛をこめて』で、初めてコングさんを観た時の衝撃と笑劇。その存在に惚れてしまった。そしてわかぎゑふのもうひとつの演劇ユニット「ラックシステム」との出会い。関西弁で展開する笑いと涙の舞台。ハマった。これは、お気楽夫婦だけで楽しんではいけない!そう決意した2人。(当時はまだご近所ではなかった)ご近所の友人夫妻と、(当時はまだNYCに駐在さえしていなかった)NYC帰りの友人夫妻を誘い、毎回3組6人で出かける芝居になった。ハマった。全員が。リアクションの小さなお気楽妻と違い、公演中も爆笑する友人妻たち。そして友人夫たち。NYC帰りの友人夫妻がNYCに赴任し、しばらくは2組4人での観劇が続き、そして6人での芝居企画が復活した。
ある週末、リリパットアーミーⅡ25周年記念公演『罪と、罪なき罪』を観た。もちろん3組6人で。さらに、その日の目的はもうひとつあった。公演前の特別企画「罪なトークショー×コング桑田の罪なビンゴ大会」だ。6人は全員コングさんのファン。公演前の私服で現れる出演者、リラックスし切ったトーク、暴露話。天然の猛獣コングと、ケダモノを飼い馴らす座長わかぎの絶妙のやり取り。こりゃ楽しい♡心から笑える幸福感。仕事に厳しい金融機関に勤めるNYC帰りの友人夫さえ、あっという間の破顔。口数の少ないご近所の友人夫も大爆笑。そして見事にNYC帰りの友人夫妻は揃ってビンゴの景品をゲット。「もうこれで充分だね。公演観なくても良いぐらい面白かったぁ♫」トークショーの後にコングさんと記念写真を撮り、満足気に声を揃える妻たち。おいおい、そうはいかんでしょ。
「…あれ?公演のことには全く触れてないよ」妻の指摘もごもっとも。とは言え、祝25周年!そして、明日の記事に続く。