成すべき人生、成さざるべき人生『お腹召しませ』浅田次郎

Photoの声は頭の上から降ってきた。夜遅く、仕事帰りの私は途中駅からシートの一番端に座ることができたので、一心に文庫本を読んでいた。「何もこんなとこから乗らなくてもいいじゃないか」「仕方ないじゃない、もう電車が出ちゃうんだから」酔っぱらった夫と、それをアヤす妻の会話のようだ。ちらっと2人の姿を一瞥した。仕事を引退したぐらいの年齢に見える老夫婦。すぐ近くに立っているため2人の会話が聞こえて来る。「人の顔見やがって、失礼だな」「何言ってるの、よしなさい。どうしたの」「何か気にくわないらしい」何かトラブルが起きたのか。気にはなるが、読みかけの文庫本の続きの方が気になる。「失礼じゃないか。だいたい役人は…」ふぅん、何か嫌なことがあったのか。「俺は見れば分かるんだ。会社で仕事できないんだ。こんなやつは、きっと頭悪いんだ」そうかぁ、絡んでいる相手は、仕事ができそうもなく、頭も悪そうなヤツなんだ。やれやれ。

う止めなさいよ」冷静にそう言った女が、私の座るシートのすぐ横に身体を寄せる。「何で庇うんだ」男が毒づく。…え?え!わ、私ですか?そこで初めて今までのことばが私に向けられたものだと気付く。「せっかく楽しくお酒飲んでいたのに。こんなことだったらタクシーで帰れば良かった」女が零す。何か身につまされる。自分が守ってきたプライドが失われてしまったことを、嘲笑われるのが怖いのか。自分を何かで護りたいのか。私の一瞥は男の何を壊してしまったのだろう。2人の声は決して大きくはなく、私に聞こえるか聞こえないかの会話。周囲に注目される状況でもない。中途半端でもあり、理不尽でもある。それにしても物語の続きが気になる。読書に集中したいのに、相変わらず2人から発せられる雑音は続いている。降車駅に到着。立ち上がり、男を今度は凝視する。男が私を睨む。うぅむ、こんな顔か。年齢を重ねると、人格や品性が顔にはっきりと表れる。あぁ、こんな風に歳をとりたくないなぁ。そんな風貌の男だった。

田次郎の『お腹召しませ』は時代物の短編集だ。江戸時代の武士の話を描きながら、短編の前後に浅田自身の語りや解説が入る構成。そこで語られるのは、現代のサラリーマン、夫婦、男と女など。そのふたつの時代の近似に気付かされる。遠い時代と思っていた江戸が急に身近に感じられる。魅力あるストーリーと登場人物。そして快哉を叫びたくなるラスト。堂々たる浅田節だ。それにしても、浅田の描く江戸の人々は、品がある。鯔背な男に、粋な女・・・だけではなく、傍からはみっともなく見えるぐらいに対面を保たねばならない武士や、家を守るべきという絶対的価値観に疑問を抱いてしまう市井の人としての武士。現代社会に通じる、などというありふれた表現とは違う。江戸の時代も、現代も、人間は悩み、苦しみ、それでもなんとか精一杯生きてきたのだ。そして、いつの時代にも、葛藤の中にあってこそ、自分の譲れないものを護ることを選んできたのだ。譲れない、護るべきものが何なのか。それによって人品が自ずと定まる。

分の人生の中で、何を成すべきなのか。何を成さざるべきなのか。それは決して経済的な成功だったり、社会的な立場だったり、ばかりではないだろう。自分の愛する人に、街に、コミュニティに、何ができるのか。そんなことを仕事を通じて日々考えることができる日々。悪くない。照れずに言えば、楽しい。新たに選んだのは小さな会社だけれど、目指すものは大きく、矜持もある。今、自分がいる環境に感謝したい。そして、護るべきものがだんだんとはっきりしてくる自分に対しても素直に喜びたい。すると自ずと、成すべきものが分かってくる。決して人品を疑われるような歳の取り方はできない。「なんだか今日は固めなこと書いてるねぇ。でも大丈夫だよ、私が一緒だから、そんな嫌なジジイにはならないよ」ふぅ。こんなお気楽妻と生活すること、それも素直に楽しみたい。

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