
NYC帰りの友人夫妻は、NYC駐在時代から「ご飯の日」と称して、月に何度かたっぷりご飯を食べていた。ご飯をたくさん炊いて、ご飯を美味しく食べるというコンセプトで、明太子、納豆、焼魚などのおかずを整えるのだと言う。毎食たっぷりご飯という訳にはいかなかっただろうNYC時代だけでなく、帰国した今でも友人夫妻は「ご飯の日」を楽しんでいるらしい。それに比べ、自宅でご飯を炊くことなどないお気楽夫婦。炊飯器はあるけれど、使用したのは2年程前。結婚式の引き出物についていたお赤飯の素(餅米と小豆のセット)をいただいて以来。ご飯の日など望むべくもない。
理由ははっきりしている。理由のひとつは、妻のパン好き。「ご飯の日はいらないけど、フランスパンの日とか、ベーグルの日とかだったら、良いね♡」とのたまう。節約ゲームを続けているお気楽夫婦。そんな日をわざわざ作らなくても、DEAN & DELUCA をはじめとしたデリを利用し、自宅でパンを食べる日はかなり多くなっている。そして、ふたつめの理由は、私がアル中、いや、酒好きなこと。外食でも、惣菜を買って内メシであっても、選ぶ料理の基準はお酒が美味しく飲めること。自宅で食べる場合は、ビールに合う惣菜で始まり、和食系であれば焼酎に進み、洋食系であればワインに進む。ワインを飲みながらバゲットを齧ることはあっても、焼酎を飲みながらご飯は食べない。つまり、食卓にパンは登場しても、ご飯が登場することはない。
ご飯が決して嫌いな訳ではない。ちなみに私は、国内のホテルに宿泊した翌朝は、和食と決めている。ほかほかご飯と一緒に、明太子、鰆の西京焼、昆布の佃煮、野沢菜漬けなど、ご飯に合う“おかず”を食べ、ご飯をおかわりまでしてしまう。酒を飲まなくても良い(?)朝なら、むしろ進んでご飯を食べたいのだ。ある夜、そんな私が「ご飯の日」を主張した。向かったのは「大かまど飯 寅福」玉川髙島屋店。早めの時間なら待ち行列ができる人気店。ラストオーダー間際、さすがに空いている店内に案内された2人。カウンタに座り、とりあえずビール(やっぱり飲む)とお茶をお願いし、おかずを選ぶ。春キャベツの浅漬け、ダイコンとジャコのサラダ、豚のソテー、焼魚はカレイを選ぶ。ビールにもご飯にも合う。

しゃきしゃき春キャベツ。旨い。野菜が高い今、外で食べた方がむしろお得感あり。ダイコンとジャコのサラダもあっさりさっぱり美味しい。そして甘い脂が美味しい豚のソテー。うん、やっぱりビールと合うね。そしてカレイとは…焼酎のロックをください。「結局飲むんじゃない!」妻は呆れ顔。あ、そうだったね。少しずつおかずを残したまま、おにぎりをオーダー。店の入口に鎮座する大かまどで炊かれたふっくらご飯。正しいご飯の味がする。炊き具合もばっちり、程よい固さ。実に旨い。キャベツの浅漬けもサラダも、焼魚もご飯にぴったり。
「美味しかったけど、お腹いっぱいだよ」と妻。そうなのだ。小食の2人。NYCの友人夫妻(彼らは酒もたんまり飲む)のように、酒とご飯は両立しない。「やっぱり私はパンが良いかな」う〜む、ご飯はやっぱり朝(昼でも可)に限る。
今年の春は桜三昧。自由が丘南口緑道、横浜みなとみらい、中目黒、芦花公園と続いたお花見の日々の掉尾を飾ったのは、洗足池の夜桜。仕事でお付き合いのあるノルウェー系企業のお花見の会にご招待いただいた。「駅の正面に丘のようになっている場所らしいです。分からなかったら電話くださぁい」おおらかなご案内。洗足池の駅を降り、洗足池の湖畔に佇む。丘?右手に桜が咲く丘があるし、池の奥に小高くなっているのも丘と言えば丘だし。分からん。お誘いいただいた方のケータイに電話をしても繋がらない。交番の警官に尋ねると「あぁ、たぶんこの時期だけ露店を出すとこだろうね。ぐるっと一周してみたらどこかにあると思いますよ」やはり、おおらか。しかたなく、池の周囲に巡る小径を歩き出す。洗足池の周囲は1km強。ふぅ。
そこに着信。「ちょうど池の反対側です。どちら周りでもおなじぐらいの距離で〜す」とのこと。のんびり歩いて行くと、やがていくつも露店が現れる。そして桜山と呼ばれる小高い丘に到着。大きな露店が建ち並び、その前には大量のビニールシート。妖しくも良い雰囲気。多くの人で既に賑わっている。聞けば各露店がシートを敷き、予約を受けてくれるのだという。その代わり、酒も料理も現地の露店で調達。お気楽で便利なシステムだ。満開の桜の下、宴はそこそこ盛り上がり、酒もそこそこ進む。しかし、夜になるとそこそこ寒い。確かに、この春は開花から寒い日が続いたこともあり、花見の期間が長かった。そして、その日の日中は暖かく、当日の急なお誘いだったため、コートも着ていなかった私。しっかり風邪を引いてしまった(涙)。
風邪を引いたら、ウナギ。そう決めている。風邪気味の身体に、精をつけるのだ!と決まってウナギを食べる。妻はと言えば、春の多忙な時期。ほとんど毎日終電に近い時間に帰る日々。独り夕食を取るのがこの季節のお約束。ということで、渋谷の東横のれん街へ。ウナギと言えば「宮川」だ。深川のうなぎ専門店「宮川」で修行をした創業者が、名跡を継いで明治26年に築地に開業した店の総本店は「宮川本廛」。東横のれん街に売店があるのは、宮川本廛から暖簾分けをした「つきじ宮川本廛」。それ以外にも「つきじ宮川本廛 新宿店」の系列店や、暖簾分けをした「つきじ宮川のれん会」の店が各地にある。さらには、その支店や暖簾分けの店が各地にあるという。う〜む、美味しければどの宮川でも良いけれど、ややこしい。
つきじ宮川本廛で買ったのは、うな重と肝焼き。持帰り用の器もしっかりしており、そのままレンジでOK。焼きたてに近い、ほくほくしたウナギが自宅で食べられる。温まったうな重に別添のタレと山椒をたっぷり振りかける。良い香り。う〜む、元気になりそうだ。うな重のご飯は固めに限る、どれどれ。う〜ん、合格。肝焼きはきちんと香ばしく、うんうん、合格。旨い。一緒に温めてしまったホット奈良漬けがちょっとだけ悲しいけれど、お値段通りの味。国産うなぎの表面かりっと、中はふぅわりが素晴らしい。甘さを抑えたタレも私好み。これならまた買って帰ることもあるだろう。「あれ?今日はウナギだったの?良いなぁ」深夜に帰った妻の鼻がひくひく。彼女の夕食はいつものSOYJOYだったらしい。私の風邪が治り、妻の仕事が一段落したら、美味しいものを食べに行こうか!「行く♡」いつもの夜食、深夜のポッキーを齧りながら、妻の目が輝いた。
ロバート・B・パーカー著『儀式』を手に入れたのは1984年だった。あるパーティの席で、出版社に勤務する友人から「今これが一番おもしろい!」と言われ、酔っぱらっていた彼の読みかけを無理やりプレゼントされた1冊だった。(その私にとって最初の1冊を読み出すまでには、なぜか数年かかった)ボストンを舞台にしたスペンサーという私立探偵が主人公のハードボイルド小説。そのシリーズ9作目。デビュー作でもあるシリーズ第1作『ゴッドウルフの行方』が日本で発売されたのが1976年、それから30年以上シリーズは続いた。そしてシリーズ第37作『プロフェッショナル』でシリーズは終わった。主人公スペンサーの死などという作者の意思によってではなく、作者ロバート・B・パーカーの死によって。
『儀式』の冒頭に「ジョウンに捧げる 太陽は、現実に彼女のために昇りかつ沈む−−−あるいは、彼女の意に従って」という献辞がある。ジョウンとは追悼記事にあるように、53年間連れ添った妻。ハードボイルドの巨匠である以上に、愛妻家でもあったパーカーはスペンサー シリーズに1人の女性を登場させている。スペンサーの恋人であり、心理学者であり、カウンセラーでもあるスーザンだ。スーザンとスペンサーの関係は、パーカーとジョウンの関係になぞらえる研究者や読者がいるけれど、それは無粋というもの。シリーズの中でのスペンサーとスーズは、お気楽夫婦の憧れの関係だ。結婚という形態をとっていない彼らは、愛し合う恋人同士であり、母と子であり、父と娘であり、友人であり、同志であり、互いに唯一無二の関係だ。
1999年の夏、お気楽夫婦はボストンに数日間滞在した。バッグの中には『スペンサーのボストン』という1冊の本。ページを開くとボストンの地図。ボストンの春夏秋冬の美しい写真。そして、スペンサー シリーズから抜粋された短い文章が引用されている。例えば、こんな一節だ。「チャールズ川沿いにメモリアル・ドライヴを下って行き、マサチュセッツ・アヴェニュ橋を渡った。橋からのボストンの景色はいつ見てもすばらしい。明かりがつき、星空を背景に浮かび上がっている建物の線、海に向かって優雅にカーヴを描いている川筋がくっきりと見える夜はとくに美しい。−−−ゴッドウルフの行方」そんな文章を読み直しながら、やはり愛読者である妻と一緒に、夏の日射しに溢れるボストンの街を歩いた。小説の主人公であるに過ぎないスペンサーの、スーザンの、そして相棒のホークの気配が濃厚に感じられる街だった。
ロバート・B・パーカーはスペンサー シリーズ以外にもいくつかのシリーズを並行して書いていた。ニュー・イングランドの小さな町、パラダイスの警察署長であるジェッシイ・ストーンが主人公のシリーズ、そして元警官で女性探偵であるサニー・ランドルが主人公のシリーズだ。パーカーの描く、どこか屈折した、それでも愛すべき人物たちが活躍する物語のいずれもが、お気楽夫婦にとっては待ち遠しいSTORYだった。そして、パーカーの(当時の)全著作を解説し、それらの物語の中に登場する、料理、音楽、登場人物たちの関係をまとめたのが『ロバート・B・パーカー読本』だ。お気楽夫婦の本棚には、これらの関連本『スペンサーの料理』などを含め、早川書房の全著作67作が並んでいる。
スペンサー シリーズの最新作であり、最後の作品『プロフェッショナル』は、まだページを開いていない。シリーズの最新作を発売と同時に購入し、翌年の春か夏のヴァカンスまで読まずに大切にとっておき、南の島やどこかの街のホテルのプールサイドで、慈しむように読むというのがお気楽夫婦の愉しみだった。その愉しみも今年の夏が最後になってしまう。全作品が傑作ばかりではなかったけれど、偉大なるマンネリでもあったけれど、スペンサーの台詞が、私立探偵としてのアナクロ的なスタイルが、そして何よりも愛するスーズとの距離感が好きだった。今年の夏、例年以上に大切に読まなければいけない1冊になった『プロフェッショナル』を読むのは、いったいどこのホテルになるんだろう。
それでも思うのだ。亡くなったパーカーには申し訳ないけれど、彼の死によってスペンサーは死なずに済んだ。スーザンと別れることもなく、物語は終わらない。ボストンの街を訪ねれば、スペンサーがいて、スーザンがいて、ホークがいる。物語は続いている。*その後『盗まれた貴婦人』『春雷』が刊行された。
■IGAの本棚へ 『スペンサーのボストン』