2年ぶりの、2年分の「浜松まつり2012」

OuTakoGotenYataiになると浜松っ子は血が騒ぐ、らしい。子供の日を含めたGWの後半3日間、5月3日から5日まで開催される「浜松まつり」。開催日が近づくにつれ、街全体が浮き足立つような高揚感で包まれる。浜松まつりは神社仏閣の祭礼ではなく、市民参加の祭り。江戸時代に起源を持ち、「初子」を祝い「初凧」を揚げる風習に加え、町同士が大凧を揚げて競う凧合戦、夜の町を引き歩く御殿屋台と、ラッパと太鼓の音に合わせてもみ合う練りの衆など、見所が多い。市の中心部には旧町名が多く残る浜松。参加する町は170を超える。毎年この時期に妻の両親が住む浜松の街へ向うお気楽夫婦。毎年観ていても、その度毎に心躍る、実に良い祭りだ。

Gekineriころが、2011年は東日本大震災の影響で中止。復興支援のため、期間中100万人を超える人出を警備する警察などの人員不足が理由とされたが、疑問や不満の声も多かった。そして2012年5月、今年の浜松まつりは2年ぶりに晴れやかに開催された。そんな祭りの夜、中心街に食事に出かけたお気楽夫婦。食事を終え店の前の通りに出る。すると、遠くからラッパと太鼓の音が近づいて来る。初子の凧揚げから若衆たちが町に帰って来た。揃いの法被姿の若者たちが、手に手に提灯を持ち、「おっしょいおっしょい」と声をあげながら提灯を掲げやって来る。あっという間に通りが法被姿で埋め尽くされる。そして目の前で100人近い「初練り」が繰り広げられる。

OyakoOiwaiッパの音が止み、練りの若衆たちが号令以下ある店に向き直る。そこにはお揃いの法被姿の若夫婦、そして2人がそれぞれ抱きかかえる子供たちが2人。母親が抱く幼子まで小さな法被を着ている。昨年中止になった分、次子と合わせて2人分のお祝い。練りの代表が若い家族に初子のお祝いを述べ、初凧揚げの労をねぎらうお礼が父親から返される。そして通りを埋めた法被衆が一斉に声を上げて乾杯。祝いの料理が振舞われる。なんともじんわりとする風景。80万人を超える政令指定都市の、170を超える町々でこんな風景が繰り広げられていることは奇跡に近い。町のコミュニティ崩壊が多くの地方都市でも危惧される中、この祭りのありかたは貴重だ。規模が大きくなるにつれ、課題も多いとは聞くが、残され引き継がれるべき文化遺産だ。

EntetsuTako京へ戻る日の夕刻、新幹線の待ち時間で最後の祭り見物。駅前の地元資本の百貨店のディスプレーには、法被姿の子供たち。売場のお姉さんが法被姿で接客していたり、法被姿の女の子たちが連れ立って買物をしていたり。駅前の広場には御殿屋台が並べられ、それぞれの街の屋台の前でお囃子の子供たちが紹介され、緊張の面持ちで笛を吹き太鼓を叩く。3日間、浜松の街はまつりの味付けが染みている、普段の顔とは違った街になる。街を行く人々が皆晴れがましく見える元気な街になる。

幹線に乗り込み、ビールをシュポッと空ける。浜松まつりを堪能した帰路の車中で味わうべきは、「喧嘩凧」という駅弁。包装紙には各町毎の凧の紋が並ぶデザイン。小分けにされた料理をつまみにビールをぐびり。旨い。2年ぶりの、2年分の味わいを、祭りの余韻とともに。

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