浅田次郎という作家をしばらく見くびっていた。直木賞受賞作『鉄道屋』の印象が強く、「平成の泣かせ屋」と呼ばれるだけのことはある、あざとい“泣かせ”の作家と思い込んでいた。それも一方で事実だし、作家本人も自覚していることらしい。けれど、ある1冊の本で誤解していたことが分かった。決して“泣かせ”だけではないと。そして、「小説の大衆食堂」とも称されることは、多くの人に広く読まれていることの証し。私の誤解を解いた本は、西田敏行主演で映画化もされた『椿山課長の七日間』。そして、浅田次郎という名前を(イメージだけで)嫌悪し、手に取ることさえ躊躇っていた妻が浅田ファンとして寝返ったのが『プリズンホテル』シリーズ。それ以降、文庫本で購入できる作品は全て購入。2人揃って徹底した浅田フリークとなった。
そして、そんな勝手な2人が飛びつき、奪い合うように読んだのが『蒼穹の昴』シリーズだ。中国という国に、日本と中国との不幸な関係に、そして何より歴史上の人物でしかなかった西太后たち登場人物に思いを馳せた。実際に取材に行っていないというのが不思議な程、浅田のペンは軽々と東シナ海を飛び越えた。浅田の紡ぐ物語の視線は、中原の地で、北京の街で、故宮の門の中で、読者である我々の目になった。彼の描く登場人物の魅力が、歴史の教科書に出てきた“名前”を“生身の人間”に変えた。史実とは違うと意識しながらも、実在しない登場人物である春児(チュンル)や梁文秀、西太后たちと共に驚き、笑い、憤慨し、怒り、泣いた。
2011年2月4日現在、シリーズの最新作『マンチュリアン・リポート』だけが文庫化されておらず、お気楽夫婦は未読。けれど、例えばそれが最終章なのであれば、文庫化が待ち遠しくもあり、永遠にやってこなくても良いとも思う。終わって欲しくない、いつまでも読み続けたい壮大な物語である。*ちなみに、『マンチュリアン・リポート』が最終章ではない模様。ちょっと安心。
【快楽主義宣言より】
■「中国とは?」2010年11月27日 『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』『中原の虹』
■「成すべき人生、成さざるべき人生」2008年10月11日 『お腹召しませ』
■「読まず嫌い返上」2005年8月13日 『椿山課長の七日間』
佐藤多佳子の作品を読んでいると、明るい日射しを感じることがある。月刊MOE童話大賞を受賞した『サマータイム』にしても、決して幸福なだけの人生を描いているわけではない物語『神様がくれた指』にしても、子供たちの元気な声が聞こえてくる『ごきげんな裏階段』にしても。作風からも、登場人物からも、良い意味で児童文学の香りがすることもある。けれど、児童文学“出身”というカテゴリのままのゾーンには属していない。根底に善なるものを持つ人という存在、その人と人との関わり、そこに物語が生まれ、人が変化していく、そんな過程を描くことが多い。そして、佐藤多佳子の描く登場人物たちの年代は幅広い。けれど、何と言っても秀逸なのは高校生である。
『一瞬の風になれ』の主人公たちは、陸上競技、それも4継(100m×4リレー)に情熱を傾ける男子高校生たちの物語。彼らの会話が実にリアルなのだ。実際、長期にわたって取材をしたということは知っていた。けれど並の筆致では、これ程に魅力的なキャラは簡単には立たない。物語の中で会話をする高校生たちが、読んでいるすぐ傍に3Dで立ち現れるのには驚いてしまう。思わず感情移入してしまい、電車の中で瞼を熱くしてしまった自分も好きだ。う〜む、何を狼狽しているのか。
【快楽主義宣言より】
■「バトンパス!」2009年9月19日 『一瞬の風になれ」
■「読書の秋 秋休みの推薦図書」2007年9月23日 『黄色い目の魚』
■「映像と文字の世界」2007年7月1日 『しゃべれどもしゃべれども』
しばらくは女性の作家だと思っていなかった。恩田陸の作品には穏やかで柔らかい視線があるかと思えば、突き刺さるような視点もあり、同時に作品の幅も広い。『ネクロポリス』のような、幻想的で神話の香りのするような雄大な物語があるかと思えば、『中庭の出来事』のような、ミステリと演劇(脚本)を融合させた複雑な筋立ての物語もある。*他に、『蒲公英(たんぽぽ)物語』『蛇行する川のほとり』『ライオン・ハート』『ネバーランド』『まひるの月を追いかけて』『図書室の海』『ドミノ』など。
そして、第2回本屋大賞を受賞した『夜のピクニック』は、瑞々しくも残酷な“生の”高校生たちが主人公の物語。彼女の出身高校が実際に行っているイベントがモチーフになっているということだけれど、経験していない読者さえも巻き込んで“夜のピクニック”を楽しんでしまえる。この作品のイメージのままで他の恩田作品を読んでしまうと、見事に(良い意味で)裏切られることになるのだけれど、恩田作品の最初の1冊として是非おススメしたい。
【快楽主義宣言へ】
■「2冊の白い文庫本」2008年9月7日 『ネバーランド』
■「青春とオヤジの関係」2006年11月11日 『夜のピクニック』
この作家のホームグラウンドはボストン。1973年に始まった「スペンサー シリーズ」も、「ジェッシー・ストーン シリーズ」も、「サニー・ランドル シリーズ」も、主人公はボストンに住んでいる。そして主要な脇役たちが各シリーズに横断して顔を出す。これらの作品の著者であるロバート・B パーカーの愛する街を訪ねてみたかった。スペンサーが愛するボストンのビール、サミュエル・アダムスをリッツのバーで飲んでみたかった。1999年夏、同じくスペンサー・シリーズの愛読者である妻と一緒にボストンを訪ねた。『スペンサーのボストン』を片手に。この本は、著者が作品の登場人物と共にボストンの街を案内するという設定。ファンに取っては実に嬉しく楽しい本だ。
2010年1月、ロバート・B・パーカーの死により、次回作を楽しみにするという幸せを失った。けれど、スペンサーは、スーズは、そしてホークは、ずっと生き続ける。
【快楽主義宣言より】
■「スペンサーは死なず」 2010年9月20日
■「さらばスペンサー」 2010年4月11日
■「読書のための宿」 2007年4月7日
■「ボストンのビール」 2005年5月4日
『1Q84』が困ったぐらいに話題になっている。わが家にはなぜかBook2〈7月-9月〉だけがある。発売初日に近所の本屋さんで平積みにされているものを何の躊躇いもなく買った。家に戻り、Book1もあると知り、翌日買いに行ったら在庫なし。マスコミが煽り、社会現象となっていた。そして数週間。ようやくご近所の本屋にも再登場。今度は本を手に取ってレジに行くのが気恥ずかしい。ということで2009年6月末日現在、まだ彼の最新作を読めずにいる。困ったことだ。…というジレンマから逃れてBook1、Book2とも読み終えた。この記事は文章を何度も追加しているので、分かり難いけれど、詳しくは下記のリンクでそれぞれの感想を確認して欲しい。う〜む、である。
*2010年8月、シンガポールでBook3も読み、読んでいる途中でBook4に続く予感がした。そして、案の定…。いつになったら終わるこの賽の河原の石積みのような春樹地獄。好き、買う、読む、う〜む、でも好き、買う…。
ところで、村上春樹の作品で最も好きなものを挙げろと言われれば、迷わずこの『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を選ぶ。まだ『1Q84』を読んでいない今(2009年6月時点)、村上春樹の全著作を読んだと言えないが、読み終わった後でも同じ答えだと思う。「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」というふたつの世界が並行しながら進行し、混じり合い、影響し合い、溶け出して行く不思議な物語。しっとりと湿度感の高い、それでも乾いた春樹文体で物語が紡がれていく。“やみくろ”は、きっと邪悪なものなのだろうけれど、妙に親しみを持っている。「世界の終わり」の図書館を懐かしく思い出すことがある。まるで訪ねたことがあったかのように。
2011年春、漠然とした不安の中『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』という村上春樹インタビュー集を読み、なぜ『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が好きなのかを改めて自覚することができた。シュールレアリスティックな文体で書かれた物語として、著者自身も好きな作品だと語っている。そして、その作風を継続すれば“カルト的な作家”としての位置を確保できたであろうとも。そうなのだ。きっと村上春樹は、私にとってカルトの対象としておきたかった作家であり、『世界の〜』はその代表的な作品なのだ。
【快楽主義宣言より】
■「村上春樹、再発見」2011年4月3日
■「過去の未来、未来の過去」2010年9月23日
■「2つの世界、2つの物語」2009年9月20日
■「その1冊との出会い」 2008年4月20日
■「僕らの声を聴け」 2005年5月26日